
あなたは何階の住人ですか?
「頭の良さ」と聞くと、必ず浮かんでくるのが
「塔」なのです。
ラプンツェルが幽閉されていたような石積みの塔。
エジプトのピラミッドかオベリスクみたいに、上へ行くほど細くなる高い尖塔。

人は皆、塔のそれぞれのフロアで暮らしています。
1階に住む人、2階に住む人、5階に住む人、10階に住む人、50階に住む人、100階に住む人……
残念なことに、生まれ落ちた瞬間に「自分の住むフロア」が決まり、どんなに頑張っても、せいぜいワンフロア上がるのが精いっぱい。
都心のタワマンのように、株で儲けたから上階に住めるというわけではなく、先天的に居住階が割り振られてしまうのです。
どのフロアに生まれ落ちるかは「偶然」と「運」次第。
階が違うと、窓から見える景色も当然違ってきます。
1階の住人には、芝の生えた庭しか見えません。彼・彼女にとっては、その芝生こそが「世界のすべて」。
でも、2階の住人には、芝生の先にある石垣まで見えます。なので、1階に住む人に「芝生の先に石垣があるじゃん」と話しかけても、石垣を見ることができない1階の住人には決して伝わりません。
「嘘だ、石垣なんてない! 陰謀論だ!」となるわけです。
そんな2階の住人には、3階から見える石垣の向こうの防風林が見えません。
だから、「林なんてない! 陰謀論だ!」となってしまう。
3階の住人には、防風林の向こうに広がる農地が見えませんし、4階の住人には、農地の向こうを流れる大きな川が見えません。
5階の住人は、川までは見えても対岸にある砂丘は見えず、6階の住人に見えるのは砂丘までで、その向こうの海を見渡すことができません。
階を昇るごとに、これが繰り返されることになります。
皆、自分より下階の住人が見ている景色はわかるのに、上の階の住人に目に映る景色は想像すらできません。
これが各自の「能力の限界」です。
そして誰もが、自分の目に入る光景こそが「世界のすべて」だと思い込んでいます。実際はごくごく狭い一部しか見ていないのに、全部をわかった気になっているのです。
でも、当たり前といえば当たり前。だって、「目に見えないもの」は「存在しない」のと同じですから。
芝生の庭しか見えない1階の住人と、石垣、林、農地、川、砂丘までは見られる6階の住人と、話がかみ合うはずありませんし、「共通の世界観」を持つことは不可能です。
こうして「分断」が生まれるというしだい。
「頭の良さ」とは、つまり「塔の何階に住んでいるか?」ということです。
この塔には階段がないため、簡単に上に昇ることができません。唯一上階へ移動する方法は、たくさん本を読み、読み終わった本を高く積み上げて、それをよじ登っていくこと。
それでも、せいぜいワンフロア昇るのが精いっぱいでしょう。
また、この塔は先細りになっているため、上へ行くほど住人の数が減っていきます。
芝生の庭を見ている1階の住人は大勢いますが、砂丘が見える6階の住人は、それよりかなり少ない。
ましてや10階、20階に暮らし、海の向こうまで見通せる住人となったら、ごくごくひと握りしかいません。
というわけで、自分が何階に住んでいるのかを知るためには、「同じ景色(共通の世界観)」を持っている人がどのくらいいるか?が一つの目安となります。
自分と同じことを考えている人が大勢いるようなら、下層階の住人であることは間違いありません。
反対に、自分の考えを周囲の誰も理解できないようなら、あなたはかなり上層階の住人である可能性があります。
また、ある人が、あなたにはさっぱり理解できない独特の世界観を持っているなら、ひょっとするとその人は、あなたよりもずっと上の階の住人なのかもしれません(単にイカレれているるだけのおそれもありますが)。
繰り返しますが、人は自分より下層階の人間は理解できても、上層階の人の見ている景色は想像すらできないのです。
よく「頭のいい人ほど独りを好む(友達が少ない)」と言われるのは、同じ景色を見ている(話が合う)人がいないから。
さらに言うと、「距離」と「時間」は同じものであり、単に別角度から認識しているだけなので、遠くが見えるということは「長いスパンで物事を考えられる」ことと同義。
一般に「視野の広さ」と呼ばれるものです。
珍コロ・ワクチン騒動を仕掛けたとされる連中は、莫大な資産を築いたせいで、世間に「賢い」と思われている人々のようです。
でも、そもそも大勢の人に「賢い」と思われている時点で、大したことないことの証明になっています。本当にはるか上層階の住人なら、世間一般の大衆になんか理解できるはずないのですから。
目先の利益に飛びつき、自分たちが生きている間に急いで「(自分たちにとっての)理想の社会」を創ろうという「性急さ(視野の狭さ)」も、連中が実際は「賢くない」ことのあかしです。
一度、「自分は何階に住んでいるか?」について、じっくり考えてみてはいかがでしょうか。