「言葉を紡ぐこと」
はじめまして。
こんにちは。
おはようございます。
こんばんは。
今日は趣味の一つ。
「言葉を紡ぐこと」
について語っていこうと思います。
活字嫌いだった過去
遡ること高校生。
生まれてから高校卒業まで
私は活字が嫌いな人間でした。
とにかく文章を読むことも書くことも苦手で
本には全く手をつけなかった。
読書とは無縁。
国語の点数はどの学年になってもとんでもなく低い点をとっていた。
夏休みの宿題で一番苦手だったものは読書感想文。
私の読書感想文は「映画感想文」だった。
小説家されている、または、原作が書籍としてある映画を探しては映画を見て、まるで読んだかの如く感想文を書いてた。
それほどまでに文章に関する免疫がなかった。
感受性は豊かすぎるくらい豊かで
色んなものから影響も受けていたはずなのに
その感動を言葉にする力が当時の私にはなかった。
それをすること自体にそもそも興味がなかったのかもしれない。
きっと今じゃ、読書感想文も得意!...なはず。
言葉を紡ぐことが好きになった理由
じゃあ、なぜ言葉を紡ぐことが好きになった?
簡単に言うと、
高校卒業後の学生時代に
ある本に出逢い、精神が救われた経験があった。
それからというもの、
本の虫になった私は触れたことのない言葉との出逢いに楽しさを覚え、日常に溢れる心に響いた言葉をメモストックへ保存することを繰り返していた。
次第に自分の中から生まれる感情を日記に書き留めるようになったのだ。
それを続けているうちに
自分の内なる言葉が噴水のように湧き出ていることにも気づけるようになった。
この経験から分かったことは
「自分にとって必要なタイミングで時は来る」
ということ。
幼い頃に苦手だったものでも、
それを好きになるタイミングが数年後に訪れるかもしれない。
これって、その時にそれを好きになるタイミングではなかったということだけであって、
もしかしたら、その先にひょんなきっかけで好きになるタイミングが来るかもしれないよね。
だから、勉強でもその時は苦手な科目も数年後好きになっていることもあるかもしれないから、無理に得意になろうとする必要はないかもしれないよね。
「あ〜今がタイミングじゃないんだな〜」ってだけ。
(持論です)
「言葉を紡ぐ」
それからというもの。
扱う言葉全てに血を通わすようになり、
人へ言葉を贈ること・言葉を発信することを行うようになった。
自分で紡いだ言葉を身近な友達が素直に喜んでくれたり、「貴方の言葉好きよ」と言って貰えたことにより、自分の言葉に対する自信もついた。
そして、SNSで繋がってはいるが関わりがなかった学生時代の先輩方からも連絡が来るようになり、似てる思考を持つ顔見知りや友人が益々増えていった。
まさしく「類は友を呼ぶ」 を実感。
自分の言葉で話すことよりも、
時間をかけて言葉を選んで文章にする方が
得意なんです。
文章を書くようになってから、
過去の自分が書き残した言葉達に
今の自分が救われる経験を何度か体験した。
文章を書く心地良さを知った。
現実離れした私だけの世界に浸ることができる気持ちよさ。
こんな自分に出会えたことは
人生を幸せにする上で重要な材料となっている。
大切にしている言葉
今までの私の人生の中で一番ぞっこんになった大好きだった人から貰った今でも大切にしている言葉がある。(「」の中)
これが言葉を紡いでは露出する理由。
今も私はこうやって言葉を紡いでは発信し続けている。
「言葉は時として凶器にもなるが、
人を救うこともできる」
次回は「私は出逢いが好き」について書いてみようと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここまで読んでくださるということは
どうやら私と気が合いそうですね。
今日も良い日にしましょうね♫
ごきげんよう〜
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