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なぜ人は「知らない」ことを隠そうとするのか-分かったフリで生きている-

会議室。プロジェクターに映された意味不明な図表を前に、全員が真面目な顔で頷いている。私も便乗して頷く。誰も内容を理解していない気がするのに、この完璧な同調具合。まるでお経でも唱えてるみたいだ。

「ご質問は?」

案の定、シーンとする会議室。この沈黙の正体を、誰も指摘しない。質問できないことへの質問ができない空気。二重、いや三重くらいの分かったフリ地獄。

スマホで検索しようとして、バレそうで焦る。結局、「なるほど」を三回くらい繰り返して、その場を切り抜けた。なんなんだろう、この薄っぺらい対処法。しかも、毎回これで上手くいってしまう。

帰りの電車で、会議の資料を読み返してみる。相変わらず意味不明だ。でも、分からないと言えなかった自分も意味不明だ。「すみません、全然分かりません」。たった一言なのに、なぜこんなに言えないんだろう。

この前なんて、取引先との雑談で「あのドラマ、面白いですよね」って話を振られて、見てないくせに「ええ、すごく」なんて答えてしまった。その日の深夜、動画配信サービスで必死に1話だけ見る。なんて無駄な生き方。でも、明日も同じことをする予感しかない。

会議室に戻ると、まだみんなが頷いている。この光景、どこかで見たことがある。そうだ、小学校の授業。「分かりましたか?」「はーい!」。あれから20年以上経って、状況は何も変わってない。ただ、声を出して「はーい!」と言えなくなっただけ。

部長が何か言っている。難しい顔して頷いてる自分の横で、新入社員が「すみません、よく分からないんですが」と手を挙げた。

なんて眩しい勇気。でも、その眩しさにすら嫉妬する自分がいる。若さゆえの無知は許される。でも、この歳での無知は...。分かったフリの上に、また分かったフリを重ねる。

ああ、今日も会議室は、誰も理解していない言葉で満ちていく。

適当な相槌の達人たち

昨日の飲み会で、隣の部署の奴が「最近のシャンプーのタンパク質の浸透率がさ」なんて話し始めた時、とっさに「へぇー」って言ってた。その後も「まさにそれ」「わかる」「すごいよね」を無限に繰り出してた。会話の達人みたいに見えただろうけど、実はただの知識難民。

調べてみたら全然違う話だった。でも、その場で「それ違うよ」とは言えない。なぜって?そりゃ、「ずっと分かったフリしてました」って認めるようなもんだから。

電車で隣の席の人が読んでる本。「あ、それ読みました」って言っちゃった。言ってしまった後の虚無感。帰宅後、すぐにネットで概要チェック。あらすじだけは把握しておこうという、この無駄な段取りの良さ。

面白いもので、「知らない」って言葉は、年を取るほど言いづらくなる。20代の頃は「知りません」が武器だった。30代になったら「存じ上げません」という遠回しな言い方を覚えた。40代目前の今は、ただひたすら相槌を打つ達人になった。成長なのか、退化なのか。

この前なんて、取引先との商談中に出てきたIT用語。意味が分からなくて、でも聞き返せなくて、結局「まさにそこがポイントですよね」で乗り切った。この「ですよね」って便利だ。同意してるのか、疑問を投げかけてるのか、どっちでも取れる。まさに、分かったフリ界の最終兵器。

後から上司に「あの話、理解できてた?」って聞かれて、「ほぼ」って答えた。この「ほぼ」にも深い闇がある。0%に限りなく近いけど、100%じゃないことにして保険をかける。こんな話術、誰に教わったわけでもないのに、自然と身についてる。

カフェで流れてくるジャズ。隣の客が「このマイルス・デイビスいいですよね」って話してる。思わず「ええ」って答えそうになって、慌てて黙り込む。成長している...のかもしれない。いや、単に学習済みの失敗パターンだけか。

結局、人間って「無知」より「無知がバレること」の方を怖がるんだ。なんて愚かな生き物なんだろう。

...と、偉そうに書いておいて、この文章すら、調べまくって書いてる自分がいる。

分かったフリという習性

「理解しました」

口から出た瞬間、後悔が襲う。上司の説明の半分も理解できてないのに、なぜこんな即答が出来てしまうのか。社会人の基本スキルに「とりあえず分かったと言う」なんて項目があったっけ。

昨日回ってきた企画書。誰も内容を把握してない気がする。なぜって?みんなのチェック印が、不自然に早く回ってくるから。「後で読もう」の無限リレー。で、結局、誰も読まない。それでいて「あの企画書ね、うん」みたいな顔で会話が進む。

新入社員の子が「すみません、ここが分かりません」って質問してきた時の話。思わず「そんなの、もう常識だろ」って言いかけて、慌てて飲み込んだ。自分が分かってないくせに。いや、むしろ分かってないから、余計に威圧的になろうとしたのか。性格悪すぎるだろ、おっさん。

「今さら聞けない」って言い訳。じゃあ、いつなら聞けるんだろう。定年後?来世?結局、これって「聞きたくない」の言い換えでしかない。

面白いもので、会議中の「分かりました」って、声の大きさと理解度が反比例する気がする。一番声でかいやつが、一番理解してない。...って、今日の会議で一番声でかかったの、私だった。

昔の上司が「分からないことは、分からないと言え」って言ってた。立派な言葉だ。でも、それを言った後に「当然、基本的なことは分かってるよな?」って付け加えるもんだから、結局、誰も分からないと言えない。そういう世界の中で、私たちは「分かったフリ」を学習していった。

今日も社内チャットが鳴る。意味不明な専門用語が飛び交う。とりあえず「承知しました」と打ち込んでおく。この「承知」って単語の業務効率の高さよ。相手は「分かってる」と認識し、こっちは何も約束してない。完璧な落とし所。

そうか。私たちって、「分かったフリ」のプロなんだ。それなのに、その技術を履歴書にも書けない。なんて滑稽な専門性。

でも、考えてみれば、これって退化なのかな。それとも、社会で生きていくための進化なのかな。

...なんて考えてる時間があったら、早く今日の会議資料、読み返さないと。明日も、新しい「分かったフリ」が待ってる。

知らないことを知られたくない本能

「ちょっと調べてみますね」

わざと手元のスマホ画面を見せながら検索する。見せないと、知ってるフリしてたのかって思われそうで。でも、検索履歴を見られるのも怖い。「そんなこともグーグルで調べてるの?」って。この綱渡りのような、知識のマウンティング社会。

雑談中の「あー、あれね」って返事。危険度MAX。相手が「あれ、何?」って聞き返してきた時の冷や汗。「いや、その...」って言い淀んでる間に、自分の信用度がどんどん下がっていく音が聞こえる。

知識自慢する人って、案外、自信がないんだと思う。この前も、部長が「これ、常識だよね?」って言いながら、めちゃくちゃマニアックな話を始めた。知ってる人がいないことを分かった上で、わざわざ話してる感じ。でも、その心理、すごく分かる。私だって、たまに既読のマンガの話題で、上から目線の発言しちゃうもん。

みんなが知ってるフリをする世界の空虚さ。でも、その空虚さに気づいた瞬間、会社で普通に働けなくなる気がする。「これって本当に分かってます?」って全部疑問符をつけ始めたら、仕事が進まなくなる。

先週の会議。誰も理解してない企画書を、誰も理解してないまま承認した。でも不思議と、その企画がうまく回り始めてる。もしかして、「分かったフリ」って、意外と必要なスキルなのかもしれない。

忘年会での出来事。酔った勢いで「実は、あの時の報告書、理解してませんでした」って告白した先輩。周りから意外な反応が。「えっ、私も!」「俺も分かってなかった!」って。まるで、みんなで抱えてた秘密が噴出する瞬間。でも次の日から、また普通に「理解しました」の応酬。

考えてみれば、人生の大半って「分かったフリ」で出来てるのかもしれない。恋愛だって、仕事だって、人間関係だって。完璧に理解できることなんて、そうそうない。

なのに、私たちは「知らない」ことを必死で隠そうとする。それって、もしかして一番の無知かもしれない。

...とか書いておいて、この文章すら、誰かに「意味分からない」って言われるのが怖くて、何度も推敲してる自分がいる。ほら、また「分かったフリ」してる。

深夜の自宅で

夜中の二時。今日の会議で出てきた用語を必死で調べている。明日、誰かに突っ込まれても大丈夫なように。でも、この勉強、誰に見せるでもないのに。

検索履歴がむなしい。
「KPI とは」
「バズワード 意味」
「イノベーティブ 例文」
「クライアントファースト 具体的に」

なんか、自分の無知がデータとして記録されていく感じ。消さなきゃ。でも消すと、また同じこと検索することになる。この学びと消去の無限ループ。

スマホの画面に映る自分の顔が、なんだかバカみたいに見える。というか、バカなんだ。でも、このバカを必死で隠そうとするから、余計バカっぽくなる。

「分かりません」

鏡の前で言ってみる。たった四文字なのに、会社じゃ絶対に言えない呪文。格好つけながら生きるの、疲れるな。でも、明日も「理解しました」って言うんだろうな、きっと。

そういえば、昨日の飲み会。「最近の若手は分からないことを分からないと言えない」って愚痴ってた課長。お前だって言えないだろ。でも、その本音を口にできない自分も同類。みんな、誰かの悪口で自分を誤魔化してる。

結局、分かったフリで生きていくしかないのかな。だって、全部分かろうとしたら、一生かかっても足りない。かといって、全部「分かりません」って言ってたら、一日も仕事が続かない。

デスクの上の資料を眺める。明日の会議で使う企画書。また、みんなで分かったフリする奴だ。でも不思議と、この偽装された理解の連鎖で、会社は回ってる。世の中は動いてる。

なんだか笑えてくる。私たちって、みんな分かったフリのプロフェッショナル。それを認められない素人。

時計を見る。もう三時か。こんな時間まで起きて、明日の分かったフリの準備。

...まあ、それも人生ってことで。

明日も、どこかの会議室で、誰かが「理解しました」って言う。その横で私も頷く。この素晴らしき分かったフリ劇場の、永遠の観客兼出演者として。

スマホの電源を切る。今日はもう寝よう。
分かったフリを、完璧にこなすために。

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