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どこまでが「思い出」でどこからが「呪縛」なのか-私という檻の中で-
電車の窓越しに、紺色の制服が目に入った。私の母校の制服。そう思い込んでから数秒後、違和感が頭をもたげる。私の記憶の中の制服は、もっと深い青だったはずだ。
スマートフォンで母校の写真を検索してみる。画面に映し出される制服は、確かに今目の前で揺れている紺色と同じ。記憶の中の深い青は、どこにも存在しなかった。十数年の時を経て、私は自分の記憶が作り出した幻を追いかけていたのだ。
記憶とは不思議なものだ。時として鮮明すぎる色を纏い、時として都合の悪い部分だけを霞ませる。あの日の放課後、誰かが言った言葉も、階段の途中で交わした視線も、全ては私という検閲官によって選別され、歪められ、美化された断片でしかない。
制服の少女が降りていく駅を通り過ぎながら、私は自分の中の「あの頃」という幻想に気づく。懐かしさと呼ばれる甘い毒は、実は現在という地面を足下から溶かしていく酸なのかもしれない。記憶は、時として密やかな暴力となる。
窓の外で、本物の紺色の制服が風に揺れている。その色を、私はもう一度見つめ直す。そこには確かな現実があった。でも、どうしても深い青の残像が纏わりつく。私たちは、そんな歪んだ色に塗り替えられた過去を「思い出」と呼ぶのだろう。
「写真という檻」
古いアルバムを開くと、埃の匂いがする。デジタルデータとは違う、確かな重みがそこにはある。写真を一枚取り出す。部活の集合写真。端っこで無理に笑っている私がいる。その表情の作り方は、今も変わっていない。
SNSが「思い出」を告げる通知を送ってきた。十年前の今日、私は誰かの結婚式で笑っていた。「あの頃は良かった」。そんな言葉が浮かびかけて、不意に息が詰まる。本当に良かったのだろうか。それとも、時間という距離が作り出した幻なのか。
アルバムの隅から、小さな付箋が落ちる。母の字で「○○ちゃんの結婚式」と書かれている。その「○○ちゃん」は、三年前に離婚したと聞いた。写真の中の幸せそうな笑顔は、今となっては誰かを責めるための凶器になり得る。でも、この瞬間が嘘だったわけじゃない。
デジタルデータを整理していると、削除した覚えのない写真が次々と出てくる。クラウドの奥底で、忘却を拒む記憶たちが、しぶとく生き残っている。便利になったのは、忘れる自由まで奪われたということなのかもしれない。
古いアルバムを閉じる。埃の匂いが、また鼻をくすぐる。写真は確かに、あの瞬間を切り取った「真実」だ。でも、その真実は私たちを縛るための鎖にもなる。スマートフォンが再び通知を告げる。今度は無視することにした。今、この瞬間の重みを、もう少し大切にしたくなった。
「同窓会という拷問」
今朝、同窓会の案内状が届いた。差出人は「実行委員長」のA子だ。「実行委員長」の文字を見て、思わず苦笑する。高校時代、彼女は学級委員長で、生徒会長で、いつも何かの委員長だった。二十年経っても、その属性は剥がれないらしい。
「盛大に開催」「当時の思い出話に花を咲かせ」「近況報告」。言葉の端々に、私は違和感を覚える。高校時代の私は、いつも端の方で本を読んでいた。その私に、どんな思い出話ができるというのか。でも、そんなことは案内状の文面には書かれていない。過去は都合よく美化される。
LINEのグループが作られ、次々と既読が付く。「変わってなーい」「懐かしい」。昔の呼び方で呼び合う人々。その空気に、私はついていけない。でも、それを表明することもできない。あの頃と同じように。
「出席」と「欠席」のチェックボックス。ペンを持つ手が震える。出席すれば、きっと後悔する。でも欠席すれば、また別の後悔が待っている。結局私は、あの頃から何も成長していないのかもしれない。
案内状の端に、小さな染みを見つける。コーヒーをこぼしたのだろう。この染みだけが、この非現実的な案内状の中で、唯一の現実味を帯びて見える。結局、私はチェックボックスを埋めないまま、案内状を引き出しの奥にしまい込んだ。時効がくるまでの、ほんの少しの猶予を手に入れるように。
「遺品という名の檻」
友人の母が亡くなって、もう半年になる。昨日、久しぶりに会った彼女は、まだ遺品整理が終わらないと言った。「これ、捨てちゃっていいのかな」という言葉を、何度も繰り返していた。思い出は時として、断捨離を拒否する権利を主張する。
母の形見の腕時計。長年使っていたはずなのに、不思議なほど傷が少ない。文字盤に「CITIZEN」の文字。私の記憶の中の時計は確かに「SEIKO」だった。記憶は、またしても私を裏切る。それとも、私が記憶を裏切っているのか。
友人は言う。「アルバムに写ってる母と、私の記憶の中の母が、少しずつ違ってきているの」と。記憶は、保存された瞬間から少しずつ色褪せ、歪み、時には別物になる。でも、その歪みの中にこそ、私たちの真実があるのかもしれない。
この前、実家の整理を手伝った時、父が昔の野球のユニフォームを手放せずにいた。「まだ着れるかもしれない」。その言葉の裏には、手放すことへの不安が見え隠れしていた。思い出は、未来への不安を紛らわすための麻薬でもある。
友人からメッセージが来た。母の形見分けをしたいという。「あなたにも、何か残しておきたいものがあるの」。その言葉に、私は返事を躊躇う。他人の思い出に、自分が囚われる必要はないはずなのに。結局、「ありがとう」とだけ返した。時として、思い出は他人から押し付けられる重荷にもなる。
「解放という檻」
最近、夢で高校時代の教室に戻ることが多い。いつも放課後で、誰もいない。黒板の文字も、机の落書きも、妙にリアルだ。だが、目覚めると具体的な映像は霞んでいく。残るのは、どこか懐かしい空気の感触だけ。
友人の母の遺品整理は終わったらしい。「やっと前を向けそう」というメッセージが届いた。その言葉を読みながら、私は考える。「前を向く」とは、過去を手放すことなのか。それとも、過去という重しと上手に付き合っていくことなのか。
結局、同窓会の案内状は返信期限を過ぎた。引き出しの奥で、それは静かに黄ばんでいく。後悔はある。でも、それは同窓会に行かなかったことへの後悔なのか、それとも後悔すること自体への執着なのか。もう、区別がつかない。
母の腕時計を眺めていると、秒針が微かな音を立てて進んでいく。時計の針は、決して後ろを向かない。でも、私たちの記憶は違う。前に進みながら、絶えず後ろを振り返る。その不自然な首の捻じれに、私たちは苦しむ。
電車に揺られながら、窓の外を眺める。紺色の制服の女子高生が、友達と笑いながら歩いている。もう、深い青には見えない。記憶は、ときに檻となり、ときに足枷となる。でも、その重みを感じられることは、生きている証なのかもしれない。