博士を生かす

某ビジネス誌で博士号取得者の民間企業での活躍が特集されていて
近年まれに見る、というくらい熟読した。
ここ十年ほど、なぜかビジネス誌を読む時間が多い。
自分が好きなものはあきらかに芸術やら文化のフィールドで
ここ何十年かは仕事としてもそのジャンルに携わっていた。
その割に、というかだからこそ、なのか。

今回、この特集を読んで少し腹落ちしたところがある。


以前、同僚のお嬢さんが研究者を目指していて
考古学方面だったので、そちらに詳しい知人に聞いて
そのジャンルの教授を教えたことがある。
美大出身のその同僚は、アカデミアがどういうものなのか
今ひとつわからない、といっていたので
「アーティストになるのと基本は一緒では」と答えたことがある。


そのジャンルで仕事をするための基礎を習得するのに時間をかけ
そのあとも常に努力を怠らず、自分なりのテーマを極めていく。
手段と目的の関係やら、時流に合うテーマの方が評価されやすいとか
(助成金などの資金がとりやすいとか)
まだ未知のものを仮説を立てて辛抱強く試行していく方法だとか
似ている部分は多々ある気がする。


と、ここまで考えて、似ているとかなんとかではなく
これはその人の指向性、何を、どういったことをしているときが
自分らしいと感じ、興味を持てるのか。
一生を費やす仕事として、何を選ぼうとするのかという
根幹にあるものなのかな、と思い至る。


慣れた繰り返しに、安心感とともに、それ以上を求めない人もいれば
クリアした目標をあとに、次の目標に進むのが当然というタイプもいる。
常に新しい景色を求めて、次のステップに進み
そうして新しい景色を見つけること自体を楽しむような。


アメリカなどと違い、日本では回転ドア
(大学と実業界とを行き来する)ということは今でもあまり聞かない。
私が学部を卒業する数十年前、「大学院は受けなくていいのか」
と教授に聞かれはしたが、その選択肢は論外だった。
経済的な不安もあるが、社会を見る前に数年間も象牙の塔
(古い言い方だが、当時はまったくそういう世界だった)
にこもること(そして潰しがきかなくなること)に、
感じていた不安はそれはもう大きかった。
理系なら、多少箔もつき、給与的にも優遇される修士に進むことも
考えたかも知れないのだが。


それでもやはり、物事にはタイミングというものがあり
時機を逸してしまえば、その道に戻ることは難しくなる。
ラッキーなことに、仕事で自分の関心ある分野に関われたとして
そこで実績を積んで、大学教授に転身するという目もなきにしもあらず。
ただ、それにしても、アカデミアから実業界にまた戻る
ということはちょっと無理なんじゃないかな、というのが実情で、
大学で教えることは実践を退く、というイメージがつきまとう。


それが多少とも変ってきている、というのが先のビジネス誌の特集。
変化が早く、新しい技術開発競争にしのぎを削る民間企業で
ようやく、課題発見、そこからの新規技術(事業)開発という手順で
トレーニングを受けた博士号取得者が強みを持つ
と言われ始めたのだという。
それも特定の分野の先端技術に限らない、ということらしい。


そうはいってもまだ日本では博士号取得者は
立派すぎるとか柔軟性がない(自分のテーマや領域にこだわりすぎる)
と言われているのだと思うのだが、
先の「指向性」という点から見れば、案外応用範囲が広いのでは
ということなのだろう。


だとすると、いい時代になるのだな、と。
博士号取得者といっても、タイミングにより深刻なポスト不足の時期で
方向転換しようにも世間の風は冷たく転身がきかない。
あるいは主たる研究テーマが、それほど時流に合わず
意に添わぬジャンルのポストに甘んじたり。
と、この世界にも悲喜こもごもがあったのだが。


自分の指向性に見合った仕事に巡り会え
一生をそのことに費やせる人はあまり多くはない。
それは僥倖、というものだろう。
願わくば、費やした時間、受けたトレーニングに見合った
評価をされ、能力を発揮できるポストでの仕事を得たい。
努力が、たまには報われ、達成感が満たされる場所にいたい。
そのための選択肢が、これからも広がるように。
ひそかにそう願っている、ところである。






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