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戸田市文化会館での落語会

東京都との境にある埼玉・戸田市。
立川談春さんの独演会があり、でかける。


昨年だったか、この戸田文化会館にきたおりに
ロビーから趣ありげな水場と日本庭園が見えてなんだか気になっていた。
今回は早めに着くように調整してこの公園をゆっくりと散策した。
半分は芝生の広場だが、そこここに池があり川が流れ、茶室もある。
なにか由来があるのかと思ったが、特段のものは見つけられず。
12月にしては珍しい暖かさで、今年は遅い紅葉もあり眺めがよい。
のんびりと、泳ぐ水鳥を見ながらベンチに座る人もそこここに。
ここには桜の木もあるようなので4月始めもいいのかもしれない。
駅からの道も、びっくりするほどのどかな、ザ郊外の住宅地。
駅の反対側にあるのは、どこでも見かける大手チェーンの店の数々。
そのあたりも、東京近郊で便利だけれど、という風で肩の力が抜けている。


ここは談春さんの地元というのか、談志さんに弟子入りする前まで
住んでいた場所。
高校を2年で中退しての弟子入りから二つ目になるまでは
エッセイ「赤めだか」にあるとおり。
芸歴40周年といっても、入門が若いのでまだ50代。
当時は、落語界は冬の時代で、談志さんでも300席のホールを満席にすることが難しかった、という。
その時の自分の夢は、落語家になることだったけれど
60才過ぎないと食べていけないと言われていたから
土日に結婚式場で結婚式の司会をし、そこで貯めたお金で
生活しつつ、月に一度、60人もはいればいいほうの勉強会を続け
会の赤字は生活費のなかからやりくりする。
そうやってでもなんとか60才まで続けていくつもりで
だからこの文化会館で一度くらい落語会をと思っていても
1200席なんてどうやっても埋まらないだろう、とも。


演目は「宮戸川(上)」
長いマクラがあり、演目が終わったあとも後半の「いままでの芝浜」
の説明兼ねたトークが長くあり、中入りにはいったのは
開演後1時間15分後で、早々に終演時間が30分押すとの予告がある。


宮戸川も、当時は珍しかった、こうなりたいという意思をもっていた
女性のはしり、というような話もあったけれど、そう? と思う。
相変わらずの爆笑の話で、よくできていて満足はするのだけれど。


後半は「芝浜」。
2,3年前に、それまでやっていた「芝浜」とこれからはこれをやるという
芝浜を「これからの芝浜」として2席つづけて高座にかけたという。
そのあとは、それまでやっていた芝浜をすっかり忘れてしまい
今回また高座にかけるに当たり、全く思い出せずに
話し始めたら師匠・談志に習った通りの芝浜に戻ってしまった、
という話などは中入り前にしていた。


実のところ、私はどうも「芝浜」という話が好きではない。
いろいろな人のものを聞いたけれど、
さらっと流して短くやるならいいとして
たっぷり聞かされると、どうもなあ、となぜか思う。
内助の功として、おかみさんを持ち上げるのは嫌みに思えるし
おかみさんの嘘を許す亭主を持ち上げるのもしっくりこない。
年末に毎年これを聞いて年を越したいとは、私は全く思えなかった。
(談志さんの芝浜は、なんだかわからないけど夢にしちゃったの
 というかわいいおかみさんが好評だったというけれど)
なんで嫌いなのだろうと思っていたけれど、今回の「いままでの芝浜」は
少し納得できる噺だったように思う。


結果オーライ、ハッピーエンドの噺ではあるのだが、
おかみさんが嘘をつき通すならともかく、本当のことをいったら最後、
後味がよくない展開に絶対なりそうである。
それを黙っておけないからと、なぜ今更話すのか。
(お金はもう必要なくなっているのだし、むしろ邪魔でしかない。
 2人が幸せに暮らしたいなら、ここまで嘘をつき通したなら
 金は寄付でも何でもすればいいだけだろう)
そのあたりがもやもやしていたのかもしれない。
それが今回の芝浜では、亭主が思ったのと同様に、わざわざ今言う?
という理由に、それなりに説得力があった。
振り上げたこぶしをなんとか下ろし、百八つの鐘の音に合わせて
いいことも悪いことも水に流す、除夜の鐘ってそういうものだから
といって、それもこれも忘れてしまおう、というのなら。
少しはリアルに聞こえてくるから。


そう考えると、この芝浜は
談志さんが、おかみさんに「なんだかわからないけど夢にしちゃったの」
と言わせて、作為やこざかしさのないおかみさん像を造った流れに
正しく添っているように思う。


このままお金を手に入れて、また酒浸りになって仕事に戻るきっかけをなくして、そうしてずるずると駄目になっていく、それが見えて。
お金なんてなかったことにした、夢にした。
だって怖かったから、このあとどうなるか怖かったから。


真っ暗な淵をのぞき込んだことのある人は
わかると思うけれど、と一時期博打の深みにはまったという
談春さんが語っていたけれど。
(まあ、自分で解説するのは、落語としてはどうなのかな、という
ところもあるが)
ライブの落語会は、長く聞き込んでいるファンならともかく
気になってもう一度聞く(見る)、という映画やDVD、CDのような
聞き方が出来ず、初心者にはハードルが高い。
ここのところ、NHKの「日本の話芸」を見るようにしているのは
繰り返し気になった箇所を聞き返すこともできるし
人によっては噺の肝要を語ってくれたり、ちょっとした芸談をしてくれる
解説めいたパートがあるからで。


ご本人は新しい方の芝浜(あまり評判がよくないと自分で語っていたが)のほうを押しているらしい。
この先に聞く機会があれば、それはそれでどんなものなのか
聞いてみたい気もするし、なんだか怖くもある。
それでも、この噺は進化して、これからも変っていく、ということか。
それこそ、「伝統を現代に」と、落語の可能性を問い続け
考え抜いた師匠・談志さんの姿勢でもあった。
立川流の、社是、今で言うパーパス、みたいなもの。



いつかこの先の年の瀬に、談春さんの新しい芝浜を聞くことがあるのなら
今回聞いた噺を思い出して、ゆっくり頭の中で聞き比べてみることが、
できればいい。
自分がその年にあったいいことも悪いことも思い出しながら。
なにもかも忘れて、来年またいちから苦労をするんだよ、とは
なかなか思えないけれども。
これはそういう噺だったのか、と。






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