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転がりこんだ猫
雪が降りそうな冬の朝、布団に包まって眠っていたらある違和感で目が覚めた。
(何か股のところにいる感じがする。え、何これ)
恐る恐る違和感のある股の方に手を持っていくと短い毛の塊を感じる。
(なにこれ。まさかネズミ?こわっ)
かじられないように手をゆっくりと抜いた。毛の塊は出てくる様子はない。急に飛び出さないようにゆっくりと掛け布団をめくると、一匹のネコが震えながら丸まっていた。僕の股のところで。
ひどく痩せた全身真っ白なネコ。なぜか茶色のガムテープが肩からお尻にかけて張り付いていた。布団の中にいたせいか、黒目が大きくなっており、可愛い目でこっちをジッとみながら震えている。どうやってここに。部屋の入り口が15センチほど開いていた。
我が家は築40年近く経っており、土間(屋内で床を張らずに土足で歩けるように作られた空間)があるような昔ながらの木造の民家。どうやら老朽化で床下のどこかに穴が空いており、そこから入ってきたようだ。
飼いネコなのか。でも首輪はない。ひどく痩せているし野良猫っぽい。その割には、全身真っ白な毛がツヤツヤで綺麗。手足と尻尾がすらっとしており、顔が小さく人間でいえばモデル体型。ネコを飼ったことがないので、このネコが何歳かは全然分からないがまだ若そうにみえた。
とりあえず、震えていて寒そう。外は雪が降ってもおかしくないくらいに寒い。野良猫には厳しい季節。食べ物も普段どうしてるんだろうか。人のいる布団に入ってくるくらいだからこちらに敵意はなさそう。そんなことを考えているとすぐに追い払う気にはならない。ゆっくり布団から出て階段をおり、一階の冷蔵庫にあった牛乳と近くにあった食パン持って部屋に戻ると、そのネコはまだ布団の中にいた。
皿に入れた牛乳とパンを布団の近くに置くと、少しだけ警戒してみせた。ぺろりと牛乳を一舐めして安全を確認すると、勢いよく飲み始めた。よほどお腹が減っていたんだろう。パンもすぐになくなった。ネコのからだに張り付いたガムテープをそっと剥がす。どういう状況になったらこんなことになるのか、まさか人間にやられたのか。ネコに聞いても何も答えない。しばらくしてもネコは部屋から出ていこうしない。むしろ背筋を反らしてくつろぎはじめた。
それからネコはこの部屋に居着いた。
母親は部屋にいるネコをみつけた時、「何やそのネコ。どっから来たんや」と驚いていた。当然の反応。「知らん。布団に入ってた。多分野良猫っぽい」と僕は、さらっと流した。無理に追い返したところで、床下からまた戻ってくるだろう。
母親は意外にも、このネコをすぐに追い出そうとはしなかった。丁度、家を建て替えるタイミングであり、新しい家が建つまでの間、期間限定でこのネコが居着くことが許された。母親からすれば、もうすぐ取り壊されるこの家がどう汚れようとどうでもよかったのだろう。
16年住み慣れた家がもうすぐ取り壊される。ボロボロで野良猫が簡単に入れてしまう家。部屋の移動に靴を履く必要があり、床はきしみ、滑り台みたいな急な角度の階段、家の外にあるぼっとん便所。昔は牛を飼ってたときくこの家。他の人から不便で汚い家でも住み慣れたこの家が僕は好きだった。家の建て替え完成まで長くて半年ほどか。いずれくる別れをおもうと、このネコに名前をつける気にはなれなかった。このネコはどう思っているかは分からないが。
ネコは部屋で丸まっていることが多かったが、ふいにいなくなる。学校から帰った時にいないこともあった。もう戻ってこないのかと心配しているとスッと部屋に入ってくる。何かあった?みたいな顔で入ってくる。このネコがどこに行こうと自由。その自由を奪う気にはなれない。ただ、この部屋に戻ってきてくれることが素直に嬉しかった。
僕は、高校で友達ができず、ずっと独りで寂しかった。思春期で両親に甘えるなんてこともできない。行き場のない孤独感をこのネコは紛らわせしてくれた。似た者同士だから一緒にいてくれるのか。たまたまいい寝床をみつけて居座っているのか。お前はどこで生まれて、何をして過ごしてきたのか。ネコは何も答えなかった。
ネコは身体をこすりつけ、僕の手のひらをペロペロと舐めてくる。お腹が空いた時の合図だ。ご飯に味噌汁をかけたもの、俗にゆうねこまんま。嫌がらずによく食べる。
寝るときは布団で一緒に寝る。ネコのからだは温かくて気持ちがいい。心臓の鼓動が手から伝わってくる。自分と比べてずいぶんと脈が早い。調子に乗って触りすぎると、シャーと歯をみせて軽く威嚇してくる。「ごめんって」と言って手を引っ込める。時間を空けて、そっと背中に手のひらで触れてみる。これくらいだったら嫌がらないようだ。
ある日「ちょっとこっち来な!」と母親が凄い剣幕で部屋に入ってきた。使っていない隣の部屋に行くと、押し入れの中がおしっこで濡れており、フンが落ちていた。犯人はすぐ想像できた。そういえば、このネコ、自分の部屋ではおしっこをするところをみたことがない。家の外でしているのかと思っていたが。そうじゃなかった。僕は「知らん」しか言えなかった。「布団全部ダメになったで!もう、新しい家には絶対入れんでな!」と、母親は言い放った。ネコは他人事のように窓の外を眺めていた。
またある日、一階の土間の方からからギャーギャー!と何やら騒がしい音がする。何事かと思い様子を見に行くと、居着いたネコと見たことがない灰色のネコとがお互いを追いかけ回している。何が原因かは分からないが、喧嘩をしているようだ。ドラゴンボールの悟空とベジータの闘いを目で追うことしかできないクリリンのような心境。見守ることしかできなかった。闘いの末、居着いたネコは灰色のネコを家から追い出した。自分の居場所を守るためか、単に気に入らない相手だったのか。灰色のネコは、その後も何度か我が家に侵入してくることがあったが、その都度居着いたネコに追い出されていた。
家の建て替えのため、家の隣にプレハブが建てられた。親は居着いたネコをプレハブの中まで入ることを許さなかった。プレハブの床下が居着いたネコの新しい寝床となった。もう一緒に寝ることができないのが寂しかったが仕方ない。使っていない毛布を地面にひいてやった。ネコはそれで満足そうにゴロゴロしている。餌を持っていっては頭を撫でた。
住み慣れたボロボロの家はあっという間に取り壊された。更地になったと思ったら、すぐに少しずつ新しい家が出来上がっていく。カンカンと大工が打ち付ける音がプレハブのとなりで響く。ただ、僕は新しい家なんてどうでもよかった。思い出が取り壊された感じだけが残った。
このネコとの生活が3ヶ月過ぎた頃、最近元気がないことに気付いた。餌をやっても全然食べない。ねこまんまに飽きてきたのか。病気にでもなったのか。そう思い全身をみてみると、お尻からなんか出かかっている。よくみると小さいネコの顔がみえた。うそ。これ、まさか。妊娠して出産困難な状態になっている。最近餌を食べて太ってきたと思っていたがひどい勘違いだった。慌てて母親を呼んだ。妊娠された相手は、もしかしてあの灰色のネコか。そういえば最近姿をみない。どこかにいってしまったのか。このネコがこんな状態なのに。いや今はそんなことどうでもいい。しばらく様子をみていたが、まったく産まれそうにない。ネコが苦しそうな声を出す。
段ボール箱にそっと入れて、動物病院に向かった。母親が受け付けで事情を説明している。「このネコは、野良猫ということでよろしいでしょうか?」と受け付けで確認される。「……いや、飼い」と僕が言いかけた時、「野良猫です」と母親がはっきり答えた。もう何ヶ月も一緒に生活しているが、この関係がなんなのか自分でもよく分かっていなかった。飼いネコといえば、飼いネコのようなもの。野良猫といえば野良猫。ネコ自身はどう思っていたんだろう。親からすれば始めから期間限定で一緒に住むことを許した関係。それ以上僕は何も言うことができなかった。
野良猫として受け付けが終わった。とりあえず無事に生まれるまでは病院でみてくれるようだ。無事に生まれたら新聞等で貰い手を探してくれるとのことだった。
受け付けが終わると、もう帰るしかない。帰りの車の中、ふと、ダメ元で、「子ねこ一匹でも持って帰れんの?」と、そう母親に言った瞬間、自分の言葉の残刻さに驚いた。子ねこは無事に生まれたら引き取り手はいくらでもあるだろう。あのネコの子どもだ、可愛いに決まっている。その一方で、親猫のあのネコの引き取り手は見つからない可能性が高い。ちょっと考えたら分かること。この状況で子ねこだけを欲しがるなんて。自己嫌悪が体の中でいっぱいになった。親は当然のようにダメだと言った。
その後、そのネコがどうなったのか僕は知らない。無事に子ねこは生まれたのか。貰い手はちゃんとみつかったのか。あの親猫もちゃんと貰い手はみつかったのか。まさか、保健所に送られたりしてないだろうか。それだったら野良猫のままの方がよかったんじゃないのか。もしかして僕が、迎えに来るのを待ってるんじゃないだろうか。あのネコは僕のことを恨んではないだろうか。ずっと気になったけれど、僕は動物病院に確認することはできなかった。あのネコは一体どうなったんだろう。
もしかしたらまた家に戻ってくるんじゃないかという淡い自分勝手な考えは、新しい家が出来上がり、きちっと閉まってしまう部屋のドアをみて、もう二度とあのネコにはあえないと僕は知った。
※これは創作ではなく高校生の時に実際に起きたことを書きました。今の家の構造ではあり得ない出来事ですよね。これは何かを伝えたいというより、当時の自分の中のモヤモヤとした罪悪感をただ文章にして吐き出したかっただけです。長文にお付き合い頂きありがとうございました。