エンディングノートの完成までまだまだ遠い
2週間ぶり実家へ帰省。
車の助手席にはエンディングノートが2冊。
今回は忘れずに持ってくることができた。
私はある計画をすすめている。それは両親が元気な内にエンディングノートを書いてもらうこと。
看護師として何度も終末期の患者さんをみてきて、この人の最後は、本当に自分が望んでいる最後なのだろうかと疑問を感じることがよくある。
終末期で自分の思いをしっかりと周りに伝えれる人は少数派に感じる。認知症や病気のため意識が清明ではなかったりと理由は様々。
70代の両親の考えを今のうちに知っておきたい。
前回の帰省の時にエンディングノートについて両親には説明はしていた。前回までのことはこちら。
実家に着き、子どもたちが先に家に入っていく。
両親は孫と会えて嬉しそうに話している。
ちょっと場が落ち着くのを待って、
「前言うてた、あれ」と両親にエンディングノートを手渡した。内心は嫌がられないか不安はあったが、そんな素振りはみせないように。
「あ~言うてたやつか、こんな暑いのに」と母親は笑いながら答えた。
前回ちゃんと説明しておいて良かった。反応は悪くない。暑いのは関係ないと思うけど。
両親がイスに座りながらエンディングノートをペラペラとめくる。
「全部書かなくてもいいから、書けるところだけでも書いといてーや。元気なうちに」と声を掛けると、「わかった。また書いとくわ」と、母親は笑いながら返答した。父親は返事もなくペラペラとめくりみている。
エンディングノートの内容をみている途中に「かくれんぼしよ」と我が子が割って入ってきた。
話題は変わり、ノートはテーブルに置かれたままになった。
次の帰省時までに書いてくれているかがポイントだと感じた。
それから2週間後、また子どもたちを連れて帰省した。
「そういえば書いてくれた?あれ。エンディングノート」と確認すると、「ううん、全然」と母親は笑いながら話した。
え〜、だめだったか。と正直がっかりした。上手くいかなかった理由はなんだったんだろうか。
「なんで書いてくれんかったん?」と聞いてみると、「こんな暑かったら書けないわ」とまた謎の返答が返ってきた。
「やっぱり、ちょっと書きづらかった?」
と冷静になりたずねると、「そうやなぁ。ちょっと難しいなぁ。実際にその時にならな分からへんわ。」と母親は遊んでいる孫を見ながら答える。
「まぁ、確かになぁ。自分もちょっとノート書いてみたけどなかなか難しかったもんなぁ。でも、胃ろうとかは嫌やろ?」と確認すると、
「そんなんはいらんわ」と両親は声をそろえて答えた。
「まぁ、そうなったら周りが決めたらいいんじゃない」と母親が話してこの話題は終わりになった。
今回、エンディングノートを書いてもらえなかった理由が2つあるように思えた。
1つ目は、70代の両親でも、まだ自分の死を近いものとしてあまり考えたくないのかなと。エンディングノートは自分しっかりと向き合わないと書くことはできない。自分の死についてちゃんと考えるのは結構精神的にしんどい作業。
両親にエンディングノート渡す前に、自分も書いてみたが、全ページはなかなか書けない。自分のことなのに。
延命治療についてはすぐに書くことができたが、これは看護師として何度もそういう場面を経験しているから想像しやすいだけで、一般の人にはなかなかイメージがしづらいのが普通だろう。
2つ目は、家族を信頼しているから、ある程度任せてもいいと考えているのかなぁとも感じた。実際は分からないが。
単に、エンディングノートのことを忘れていたという可能性もあるけど。
エンディングノートをきちんと書いてもらうのが理想ではあったけれど、どうやら両親にとって今はそのタイミングではないみたい。
いつか読んだ本に、『馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない』という一文を思い出した。誰が馬やと両親には怒られそうだけど。
とりあえず、水辺までの行き先を書いた看板をたてることはできた。また、タイミングをみてすすめてみよう。両親が自分で書きたくなるようなタイミングに。
エンディングノートの完成までまだまだ遠そう。
でも、親子でエンディングノートについて話すことができたのは良かったとは思う。まだノートの完成は諦めてはいない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。