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やりたいことは特別じゃないという気づき
本屋でプラプラ本探しをしていたら、「やりたいことをやろう」という文字が見えた。思わず、胸がきゅーと締め付けられるような感覚がして、思わずその場からすぐに立ち去った。
昔はやりたいことで生活している人に憧れ、やりたいことを探してた。しかし、なかなか見つからない。今日の自分と昨日の自分は言っていることが違うこともあったし、自分がしたいといいはじめた仕事があまりにも苦手すぎるがゆえメンタルが病んでしまったこともあった。そのため、やりたいことに向かってキャリアを進んでいる人をみると眩しくてしかたがなかった。やりたいことがあることはとても特別なことのように思えた。
やりたいことって特別だと思っているが本当にそうなのだろうか。最近ふとそのように考えた。自分のやりたいことがわかっている人は多くない。だから、やりたいこと探しの本がたくさん出ている。でも、やりたいことって範囲か可能性を狭めているのでは、「自分が嫌だと思うこと以外やりたいことになる可能性がある思う」となんだか特別ではなく、誰にでもあるように感じる。
最近読んだ本の中に「努力を重ね、真剣に取り組み続けたものの中にやりたいことはある」という内容のものがあった。読んだ当時は、じゃあ真剣に取り組むものを決めるのを決めるためにやりたいこと・興味あることを探さなくてはいけないじゃないか、無理じゃないかと思った。嫌なこと以外で無理なく自分ができることからやって続けていくことでやりたいことができるのではないかと思う。
やりたいことは作れる
好きとか興味があるとか、正直よくわからない私にとって、この考え方はすごく腑に落ちた。
本当にやりたいことはわくわくと同時に不安と恐ろしさも感じるらしい。いつか、感じられるように私はなりたい。