【短編小説】言葉にできない (#2)
#2 先延ばしにしていたこと
火曜日。今日は自分にとって特別な日にするつもりだった。少しだけでもいいから、大きな一歩を踏み出したいと決めていた。
一輝は久しぶりに姉の箕輪佳純(みのわかすみ)に電話をかけた。以前からずっと連絡を取ろうと思っていたが、宿題と部活に追われる日々でなかなかできずにいた。佳純の声がスマートフォンから聞こえてきた瞬間、胸がいっぱいになった。
「一輝、元気なの?」
「うん、元気だよ。姉ちゃんも?」
「元気、元気。それより、一輝が心配でたまらないわぁ。」
自分のことを気に掛けたその言葉に目頭が熱くなった。佳純は大学を卒業後、実家を出て京都に移り住み、市内の観光ホテルで働いている。インバウンド需要で外国人観光客が日本の歴史や文化を感じられる京都に集中する状況で、日々忙しくしていると一輝に伝えた。実家を出る以前から自分の語学力を生かした職業に就きたいと話していたが、佳純がホテル業に就職したことは一輝にとって少し意外な選択だった。
「だからって、電話に一切出られないわけじゃないから。実は、私も一輝に電話しようと思っていたんだよね。だから、びっくりした。」
「えっ、何で?」
「何でだろうね。何となく、としか言いようがない。」
「何だよ、それ。」
「ほんと。『何だよ、それ。』だよね。でも、兄弟なんだから意思疎通っていうか、以心伝心か(笑)。そういうこともあるんじゃない?たぶん、それだと思うよ。」
佳純の声が少し弾んだ時、もっと頻繁に連絡すればよかった、と思った。今日はそれができたことを嬉しく感じた。少し遅かったけれど、これからは佳純との連絡を大切にしようと決めた。さらに、願ったのは佳純との再会だ。電話では自分の命の終わりについて話すことができなかった。それはもちろん、冗談にとられると思ったからだ。楽しそうな佳純の声をずっと聞いていたかったから、再会を願う話もしなかった。いや、話ができなかったという方が正しい。それは、再会の話をすると一気に切ない気持ちが湧いてきそうに思えたからだ。誰にも信じてもらえないと思っている自分の寿命をきっかけに、学校を休んでまで京都ヘ出掛ける大胆な発想は持ち合わせていない。話している間、規制を掛けていたはずの一輝の心の鍵は、佳純のひと言で解かれてしまった。
「支配人に言えば部屋は取れるから、いつでも遊びにおいで。」
母の郁美(いくみ)が夕食の支度をしているのはわかっていたが、A4ノートを買いに行く口実で外出した。気持ちを静めるため、近くの公園に向かった。空を見上げ、淡く光る繊月の細さに目を凝らしていると、誰かがゆっくりと近づいてくる気配を感じた。声を掛けてきたのは、小学校を卒業してからは疎遠だった谷口広大(たにぐちこうだい)だった。
「やっぱり、箕輪か。何でいるの?」
「おぅ、久しぶり。いや、ノートを買いに・・・ってまだ買いに行ってないけど。いや、何ていうか、家にいるとボーっとしちゃって。」
「何だ、それ。だったらここで走れば?オレはこんな感じで走ってる。」
谷口は自分の着ている黄色いストライプが入った紺ジャージの胸元あたりを引っ張りながらアピールし、週に3~4日、この公園周辺でジョギングしていることを伝えた。ストレッチを終え、まさにこれからジョギングを開始する直前だったという。
「家の近所だとココぐらいしかないっしょ。駅前の通り沿いは車も多いから、あんまり走りたくないし。」
「そうなんだ。部活は関係なく、ジョギングはするんだ。」
「ん?部活には入っていない。スポーツが嫌いってわけじゃないんだけど。前に一度、親と市民マラソンに出たらハマっちゃって(笑)。今年も参加申し込みしちゃったから、なるべくさ、体力が落ちないように、ちょっと・・・まぁ、いいや。それにしても箕輪、ほんと久しぶりだな。」
ふたりはお互いに懐かしさを感じながら、重たいランドセルを背負って学校までの長い坂を上るのがきつかったという、小学生の頃の話題で盛り上がった。一度も同じクラスにならなかったにも関わらず、何故、公園でよく一緒に遊んだりしたのだろう、と思い出せないことも結構あり、どれだけ贅沢な時間の使い方をしていたのかを振り返った。そんな何とも言えない間柄と夜の公園で笑い合えたことが素直に嬉しかった。
実は、谷口に関しては、何でもいいから話しておきたいと思う友だちのリストには入っていない。この偶然の再会で、今、通っている学校のクラスや部活の友だちに偏っていることに気付かされた。この再会は、本当に偶然なのか、それとも、夢で聞こえた声の主である子どもに導かれたのか。姉の佳純が言っていた以心伝心のような感覚とは少し違うが、谷口との再会に関しても、何か運命的なものを感じた。
(#3につづく)
『言葉にできない』
◆#1「夢の予告」
◆#2「先延ばしにしていたこと」
◆#3「話せたこと、話せなかったこと」
◆#4「やりたかったこと、できなかったこと」
◆#5「漠然とした不安」
◆#6「残り少ない時間」
◆#7「終わりと始まり」