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自分も一生懸命に走っていた(6)

怪我や故障が絶えなかった高校時代。
部活を引退するまで、常にカラダの何処かが痛かった。
全力で納得いく走りが出来た事は無かった。

高校駅伝で全国制覇を目指していた。
チーム内の競争は激しく、走れない者は、価値の無い人間のように扱われている気すらした。

自分は、駅伝のメンバーには選ばれる事は無かった。しかし、小出監督はトラック種目の800mでは常に代表に選んでくれた。けれども最後まで県大会止まりで、芳しい成績は残せなかった。
3年のブロック大会の翌日、監督に、引退して一般入試で大学進学をしたい旨を申し出た。監督は言葉少なに「頑張れよ」って言った。

それから約20年後の佐倉市岩名陸上競技場。佐倉朝日健康マラソンで、Qちゃんと共に出場選手を激励する監督がいた。
「いまだに走っています!」と挨拶した私に「いいねー、頑張って!!」と声をかけてくださった。

これが監督と交わした最後の言葉になった。
今は、過去の自分の価値を自分自身が認めている。

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