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「よく考えなさい」と先生は言った。しかし、先生は「考える」とは何か、その方法を教えてくれなかった。

考えるとは、一体何なのか?それは、空に浮かぶ雲のように、掴みどころのない、曖昧なものだった。私は、窓の外に広がる夕焼けを眺めながら、その答えを探し求めた。燃え盛るような赤とオレンジの色が、空を染め、静かに沈んでいく太陽は、まるで、人生の終わりを告げるように、静かに息絶えていくようだった。

「考える」とは、もしかしたら、この夕焼けのように、美しい瞬間を目に焼き付け、その美しさに心を震わせる事なのかもしれない。あるいは、この静寂の中で、自分自身と向き合い、心の奥底に眠る真実の声に耳を傾ける事なのかもしれない。

先生は、答えを教えてくれなかった。

多くの先生も「考える」とは何かを学んだことがないのだろう。
しかし、それでも先生は「よく考えなさい」と言う。

「よく考える子ども」にとって学校は息苦しい場所。

小学校や中学校では、先生達の年間研究テーマが設定されています。
そのテーマの中で最も多いのが「主体的に深く考える生徒(児童)を育てる」です。

教師時代に、ある学校の研修会で、「主体的に深く考えるとはどういうことですか?」と質問したことがあります。その時に、研修会が気まずい空気になってしまったことがあります。

先生が理解していないことを生徒(児童)に押し付けている現状があります。
しかも先生は「考える」とは何かを自分が理解していないことを理解していない。


私は「考える」ことを理解しているのかというと、理解しているとは言えません。
しかし、自分が理解していないことは理解しています。(「無知の知」)

「考える」とは何かをテーマに「ほわスタ塾」を開いて一年。
実践を通して「考える」とは何かの小さな光は見えてきました。

キーワードは「抽象と具体の往復」

「考える力」は、子ども達を大きく成長させるエネルギーなのです。