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真実の美を追求〜マティス展が教えてくれたこと

マティスの総合芸術としての礼拝堂

先日、家でテレビをつけたら、ちょうどマティスについての番組が始まったところでした。番組では、晩年のマティスが総合芸術としてつくった南仏・ヴァンスの礼拝堂について、詳しく紹介していました。

マティスが教会をつくったことを初めて知り、意外な印象を持ちました。でも、テレビに映った礼拝堂の空間はマティスらしいタッチの太めの線によるデッサンの絵と、青と黄色に緑を加えたステンドグラスに日の光が射して、教会内が安らぎの空間になっているのを感じました。

番組の最後の方で現在、東京の国立新美術館でマティス展が催されており、この礼拝堂が館内で再現されていることが紹介されていました。(これは行きたい・・)と思ってから、1カ月後の昨日、ようやく足を運んだのでした。

初期の静物画から感じられる才能

館内に入り、まず壁に掲示された説明を読むと、マティスは21歳のころ虫垂炎になり、療養中に母親が絵の具をプレゼントしたことが絵を描くきっかけになった、とのことでした。

私が敬う作家・遠藤周作の「マイナスとしか思えないことの中にプラスの種は隠れている」という言葉は本当だなあ、と思いました。

個人的に印象に残ったのは、初期の静物画。古書がアンバランスに積まれた絵や、ハーモニウム(オルガン?)と桃色の花の2輪と椅子が少し傾いて配置された絵からは、やはり世に残る画家の才能を感じました。

マティスの使用していた絵具箱の実物も展示されており、沈黙の内に何かを語っているようでした。

絵画から読み取る「絵の裏側にあるもの」

また、晩年に活路を見出したという切り絵では、ポリネシアの海を泳ぐブルーの魚群から〝命の歓びそのもの〟が伝わってきました。

そして、再現された礼拝堂に入ると、そこには── 聖なる書物を手にしたドミニコ師のデッサンのような絵があり、私の心の器の中に、目には見えない恵みが入ってくる感覚になりました。

マリアと幼な子の絵からは、大人になっても忘れずにいたい童心と日々の歓びをも語っているようでした。

今回、マティスの絵画を観て改めて思ったことは、詩と同じように、絵も (特に好きな数枚の作品は)「絵の裏側にあるもの」を読み取るのが大切ということです。

私は数枚のマティスの絵葉書を買い求め、余韻に浸りながら、美術館を後にしました。

※ マティス展は、六本木の国立新美術館で5月27日(月)迄です。

今回はマティス展を観て、昨日から今日にかけて書いた詩をお届けします。

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