どうして字幕を読んでしまうのか
わたしは、日本語のリスニングができます。
だから画面上の人が何を喋っているか、字幕が無くても聞き取れます。
だのに、なぜ
字幕があると、字幕を読んでしまうのでしょう。
これってあるあるですか?
同じ文字を書いていると段々へんに思えてきて
例えば「垂れる」ってこんな字だったか?
となる現象をゲシュタルト崩壊と言いますが
そういう感じのやつですか?
それとも、何かとテキストで読みたいわたしの性分なのでしょうか。
例えば料理動画。
百聞は一見に如かず、とはよく言ったもので、動画だと明確にどうするか、わかりますよね。クラシルとか、めっちゃ便利。
便利だけどわたしは、出来ればテキスト(文章)で確認したい派です。
先日もこんなことがありました。
何度も聴いているから知っている、どころか歌詞を覚えていて一緒に歌えてしまう曲をテレビでaikoが歌っていて、それなのにわたしは気付くと字幕を追ってしまっていたのです。
もったいない。
全然セットとか、歌っているときのaikoの表情とかに目がいかない。
一生懸命、意識しないといかない。
もし、こういったあれこれが
みんなにとってのあるあるでなかったら。
それぞれの特性といえるものだったなら。
電話・対話派と
メール・チャット派の間に流れる
広くて深い河の説明になるのではないでしょうか。
連絡するときは俄然メール・チャット派の意見としては、大体以下の通りかと思います。
(わたしもこちらの派閥。)
1)伝達ミスが少ない
(情報をコピー&ペーストできる)
2)非同期コミュニケーションである
(相手の時間を分断せずに済む)
3)複数人と同時に情報共有できる
一方、電話・対話派に質問を投げかけたところ、返ってきた答えは大体こんな感じでした。
1)声を聞く(目を見る)と相手にしっかり伝わったことが確認できる
2)文章を考えるより電話してしまったほうが早いし、読むのも面倒
3)ついでにコミュニケーションが取れる
(仕事の話以外の雑談もできる)
確かにね。
こちらの文章が回りくどくて
相手の読解力の無さが追い打ちをかけると
メールのやり取りしてて
「全然伝わらない…!」とやきもきしますが
電話するとあっさり伝わったりします。
なんでしょうねあれ。ニュアンス?
あと、文字を読んだり、文章を組みたてて書くという行為を異様に面倒くさがる人が一定数いる。
つまり、電話・対話派は、動画が手っ取り早いと感じる人が多くて、
メール・チャット派は、テキスト(文章)で読みたいと思う人が多い、のではないか。
というわたしの仮説でした。
皆さまはどちら派でしょう。
…まぁ、臨機応変に使い分けるのがベストなんでしょうけれども。