言い訳しても、いいよ
言い訳するんじゃない!
そんなの気のせい!
我慢しなさい!
そんなことを言われながら育ちました。
おかげ様で、あんまり弱音を吐かなくなったし、しんどい時にもう一息、頑張れるようになりました。
でも反面、ちょっと辛いとすぐ文句を言う人や、踏ん張れない人に対して不寛容にもなりました。
言いはしないまでも、心の中で思っていました。
言い訳してんじゃねーよ
気のせいでしょ
ちょっとは我慢しろ
…
自分が辛い思いをしたんだから
お前もしろと思う。
わたしの中にもスパイト行動は沁みついているのですね。
***
わたしは夫と結婚して、自分を甘やかすことを覚えました。
夫がわたしに、何も求めないからです。
ひとつ求めたことがあるとすれば「こうすべき、こうしなきゃ」ってあんまり言わないほうがいいんじゃないか、という提案でした。
ごはん作らなきゃ
洗濯ものは溜めたらダメ
水回りはいつもキレイに
気付いたときに動かなきゃ
休日は外出しなきゃ勿体ない
フルタイムで働いて帰宅した後、夜中まで家事をしてヘトヘトだったわたしは、夫にも「ちょっとは片付けてほしい」だの「洗面台はキレイに使って」だの「今洗濯したばっかりなのに」だの文句ばかり言っていました。
♪そんな時代もあったねと~
巡り巡って今、わたしにはあらゆる言い訳が用意されています。
今日は生理だから掃除むり
休みだからもうちょっと寝る
残業しちゃったからご飯食べて帰るー
気付くとつい頑張り過ぎてキリキリしてしまうわたしたちには、必要な言葉です。
「○○だからしょうがない。」
数日外食や中食が続いても
少々ホコリが溜まっても
気付けば1か月お出かけしていなくても
うちには大人しかいない(夫とわたしだけ)から別に、どうということはないのです。
わたしさえ「ま、いいか」と思えれば、誰も何も文句言わない。
どうしても腹を据えて頑張らないといけない時というのは、否応なくやってきます。
そういう場面でもないのに、自分で自分の首を絞めて周りにも「こうすべき!」とイリイリしても誰も得しません。
別にこれという明確な理由がなくても
「なんか分かんないけど今日は疲れちゃったから、しょうがないよね」
と自分を許してあげることの大事さを、わたしは中年になって学んだのです。