首が長いんじゃ、しょうがないよねと思えた話
受話器を肩に挟んで喋るスタイルって、社会人っぽいですよね。
就職し、企業で働いて初めて見たものの一つ
「受話器を肩に挟んで会話しながら書類をめくる人」。
初めて目にしてからおよそ20年(20年!)、わたしはアレをやってみたいと思いながら、どうしても出来ずにきました。
試みたことはあります。
でも顔と肩の間でうまく受話器が落ち着いてくれず、スカッと落ちてしまうのです。
周りの社員に話してみたこともあります。
皆さん、そんなの出来なくてもいいんじゃない、とか、曖昧に笑う、とかで、真面目に取り合ってくれませんでした。
最近、ふと思い出して夫に相談してみたら
首が長過ぎるんじゃない?
あと、肩幅が狭いのもあるかもしれない。
という返答を得ました。
…え?
わたしは、あの憧れのスタイルが叶わないことを、自分の運動神経の欠如によるものと思っていました。
「みんなには簡単に出来ることなのに、わたしには出来ない」という体験を、長年の体育の授業で嫌というほど味わってきましたからね。
跳び箱をうまく跳べなかったときみたいに
ラケットをうまく持てなかったときみたいに
平均台にうまく乗れなかったときみたいに
また、わたしのせいなのだろう
わたしの不出来が原因なのだろう
と思い込んでいたのです。
でも、身体的な理由だったとしたら。
能力の問題ではなく
構造の問題だとしたら。
それは
わたしのせいではない。
能力だって、天性によるものがかなりの部分を占めているように思いますが、でも「能力は努力で補える」という声が邪魔してきます。
鉄棒だって、努力すれば逆上がりとか出来るようになるし。
縄跳びだって、登り棒だって、能力の不足を努力が補えますからね(限界あるし、努力しなくても出来る人だっているけどね)。
ただ、体の構造の問題だとしたら。
たとえば、身長が150cmしか無かったら、どうしたって天井には手が届かない。
180cmの人には、Sサイズの服は着られない。
受話器が肩に挟めないのも、首が長いからって理由なら、しょうがないんじゃないの。
わたしのせいじゃ、なかったんじゃないの。
そう思ったら、なんだかホッとしたのです。
もしかしたら。
わたしのせいだ
わたしが悪いんだ
わたしがダメなんだ
と、あなたが思っていること。
それ、あなたのせいじゃなくて、構造のせいってこと、あるかもしれませんよ。