人間性のレベル不足でかたじけないが
わたしは世間話が苦手です。
…苦手?
いや、もはや嫌いです。
幼い頃、近所の主婦たちが寄り集まって行っていた井戸端会議、わたしにとってあの一画は、鬼門でした。
一度つかまると延々とその輪から抜け出せず、しかもその内容は大体、よく知らない知り合いの噂話か、真偽の不確かな週刊誌ゴシップ。
その全てに一切の興味を持つことが出来ず、且つ死んだ魚の目をし続けるのも忍びない、あの奇妙な空間。
逃げたい。
避けたい。
関わりたくない。
そんなわたしの願いも虚しく、めざといおばちゃんに捕獲され否応なくそこに留め置かれたときの無念さといったら。
しかも、どうやら大人になったらあれに自ら進んで参加せねばならぬらしい、ということを母の言葉の端々から察し、絶望に打ちひしがれながら歳を重ねてきましたが、どうにかこうにか、わたしは齢40を越えた今も尚あれに参加することなく、なんとか生き延びています。
ご近所さんや同僚から付き合いの悪い人、と思われている可能性は大いにあれど、そんなことよりもわたしは自分の身の安全と心の安寧を優先したいのです。
世間話を好む人は、何も主婦に限ったことではありません。
…というかたぶん、かつて井戸端会議に常連として名を連ねていた主婦のなかにも、お愛想で笑みを浮かべながらも「めんどくせえかえりてえきょうみねえ」と内心思っていた人も数多く存在していたことでしょう。
性差や年齢差や属性の違いより
個人差の方が大きい。
わたしはいつもそう思っています。
当然、世間話を好む人も性別や年齢・属性関係なく、どこにでもいます。
それが男だろうが女だろうがそれ以外だろうが、平社員だろうが役員だろうが、独身だろうが子沢山だろうが、わたしは「長々と世間話を行う人」とは根本的に合わないと感じます。
他者の時間を奪うことに躊躇しない厚かましさ
不確かな情報を考え無しに流布してしまう愚鈍さ
人を落とすことで自分を上げようとする浅ましさ
わたしが目指す人間像からはかけ離れたその姿を愛せる包容力を、わたしは未だ持ち合わせていないのです。
もしかしたら、もう5段階くらい人間性に厚みを増ればあるいは、そのような人間のことすらも「かわいい」と思えるステージに到達するのかもしれません。
果たしてわたしは生きている内にその境地に達することがあるのだろうか、と思いながら日々を過ごしています。