心の中で床を叩く
柔道では、攻撃より先に「受身(うけみ)」を習います。
とは言え、わたしは柔道の手ほどきを受けたことはありません。
昔々、兄が体育の授業で初めて柔道と出会い、受身で床をパーンと叩く所作を習ってきたのです。
非常に感銘を受けたらしい兄と、家で一緒に受身の真似事をして
「倒されても、受身さえちゃんと取れば衝撃は受け流せる。床を叩いておけばダメージゼロ!つまり不死身!」
と、大いに盛り上がった思ひ出があります。
(柔道の先生、拡大解釈した挙句に面白がってごめんなさい)
日常生活の中でも「精神的に受身の姿勢を取れているかどうか」で、受けるダメージ量が変わってくる場面、というのがあると思います。
たとえば
・曲がり角で「向こうから人が来るかもしれない」という予測をしておく
・後ろから足音がしたとき、それとなく相手の様子を窺っておく
・怒っている人がいたら、遠巻きにご乱心の理由を探っておく
という具合。
受身ゼロの人って、曲がり角とか後ろから来た人とぶつかってしまってからギャースカ騒いでいますよね。
怒っている人に無邪気に話しかけて、とばっちりを食ったりとか。
何故
「曲がった先に誰かがいるかもしれない」
「相手が数秒後に意外な動きをするかもしれない」
「自分の言動が火に油を注ぐかもしれない」
という予測のもと動いておかないのか、不思議です。
こちらが適切な受身の姿勢を取っておけば、衝撃を回避したり最小限に食い止めることが出来るのに。
…
わたしは、自分が非常にアクシデントに弱い人間だという自覚があります。
いつだったか、玄関のドアをそーっと開けて帰ってきた夫に後ろから「わっ」と脅かされたときのこと。
わたしは驚きのあまり心の臓に支障をきたしたのではないかと思うほど顔面蒼白&青色吐息となり、気を失いかけました。
回復してから「もう二度とあのようなことはしないでください」と詰め寄ったのを覚えています。
(夫が恐らく予想したであろう「やだーもう!ビックリするでしょー」くらいのライトなキャッキャウフフで済ましてやれず、すまんこってす。)
自分が脆弱だからこそ、人より多くの衝撃を受けてしまうからこそ、わたしは精神的な受身の鍛錬を欠かしませんでした。
たまにうっかりしていたり、不意打ちを食らったり予測を大幅にハズし却って大ダメージを被ったりすることもありますが、それは致し方ない。
人間だもの(みつを)。