うわべの付き合い、だったのね
あけましておめでとうございます。
子どもを持たない夫婦は、年末年始ちょっと肩身が狭いんだよね話をしようとしたら、既に去年のわたしが書いていました。
だから、もういいや。
大体、わたしの懸念は気のせいか考えすぎのどちらかで、独自の気遣いを発揮する一方で本当に気にしないといけないやつを見落とす為に結局「気が利かない/無神経」的な評価になりがちなので。
いいの。
わたしはこのままで
堂々と生きるの。
***
虚礼廃止、という言葉を初めて目にしたのはいつのことだったでしょう。
たぶん、年賀状やめますんでとか、お歳暮なくしますんでお気遣いなくとか、そういう類のご案内に書いてあったのだと思います。
大体の意味合いは分かるけど、一応…と思ってネット検索したら、以下のような回答を得ました。
え。
じゃあ、今までの年賀状とかお歳暮って
「中身がないのに表面上見せかけている
形だけでの儀礼」だったんだね!
…
しかし
見せかけって
うわべって
そんなにはっきり
言ってしまっていいの?
大事な部分はごにょごにょ濁して、まぁ…ねぇ、そこはまぁ、そんなところで、ええ…みたいな、結局良いのか悪いのかさっぱり分からないまま、あやふやな状態で全員モヤモヤしながら徐々に自然消滅していく、みたいなのが我が国日本の文化、なんじゃないの?
とは言え、基本的にわたしは年末の
「本年はお世話になり…」
「こちらこそ例の件では…」
みたいなやり取りとか
「何日くらいまで年始の挨拶を言うか問題」
とか、めんどくせえから全部やめちまって
「いつもお世話になっております」
で統一したい論者です。
役職も省略して全部「さん」にしたい。
女子会のひと口ちょうだい的なのもいや。
お世辞も謙遜も褒め合いもゾワゾワする。
井戸端会議も参加したくない。
面倒なことは一切合切やめてしまって
とにかく早く家に帰りたい。
わたしはそんな、生粋の虚礼廃止賛成派と言えるのですけれど、虚礼だよ、あれは中身なんかない、ただの見せかけで、うわべだったんだよと断言されると物哀しい気もする。
…
そんな、めんどくさいおばちゃんです。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。