ちょうどいい寿司屋とわたしの友だちについて
つかず離れずの距離で、ぐいぐいは来ないけれどよきタイミングでごく控えめに声をかけてくれる、おまかせ握りが3,000円の寿司屋。
ちょうどいい。
先日、わたしの数少ない友だち、と1年ぶりに会って寿司を食べたのです。
高校の頃からだから
20年来の仲、ということになります。
10年くらい前だったか、夫の前にお付き合いしていた人が、別れた後にストーカーめいた行動をとり始めたことがありました。
彼女はその人とサシで会って語り合って、さりげなくもうやめるように説得してくれた恩人なのです。
普段クールで、別によくない?騒がなくても。
みたいな雰囲気を漂わせている人であるし、そんな勇猛果敢なことをしてくれるなんて夢にも思わず、ひどく感動しました。
だから彼女になにか危機が訪れたとき、助けるのはわたしの番だ、と思っています。
で、冒頭の寿司屋です。
店を出たあと、
なんかさー
ちょうどいいよね、うん、ちょうどいいわ、すごくちょうどよかった、と2人で話しながら春の街を散歩しました。
たぶん、人によっては
すぐ傍の給仕係が至れり尽くせりの接客をしてくれるのを「ちょうどいい」と思うのかもしれないし
タッチパネルで注文するのが「ちょうどいい」かもしれません。
それぞれのちょうどよさは違うのに
「なんか、ちょうどよかった」という感想が同時発生的に生まれるって、
ちょうどよさがちょうどいいって、ちょうどいいなーと思ったのです。
ところでわたしは以前、友だちはいない、と書きました。
彼女はこの記事で触れた「ごく稀に会う、なにかあったら力になりたい、友だち…のような人」です。
「日常的に悩みを相談し合うような、辞書的な意味での所謂「友だち」は、いない」と書いてしまったはいいけど
ちょくちょく連絡を取らないだけで大切に思ってはいて、会ったときにああ元気でいてくれてよかった、これからも息災でいてほしい、なにかあったら駆けつけたいなと思っている人のことは
「友だち」と呼んでよいのではないでしょうか?
いや、呼びます。
彼女は友だちです。
彼女はわたしの大切な友だちです。
She is my dear friend.
(なんか英語の例文みたい)
言葉は移り変わるものですから。
友だちの意味も段々に変わっていきますよね。
と思ってgoo辞書で「友だち」を調べてみたら
とありました。
対等、という言葉が入っているところが、いいなと思いました。