あなたに何が分かると言うの
という言葉が聞こえてきました。
聞きたくなかった。
どうして人間の耳には、蓋をする機能が無いのでしょう。
まぶただったら、閉じることができたのに。
承認欲求の塊みたいな人。
彼の方の何を知っていて、そう吐き捨てることが出来るのでしょう。
わたしは、いちばん身近な夫のことだって
「こういう人」と断言することは出来ません。
夫という人を知れば知るほど、人の奥深さを学ぶ思いだからです。
人と暮らすと、新しい発見の連続です。
こういうことに腹を立てるんだな
このニュースには興味を示すんだな
これは気にならないんだな
でもこっちは気にするんだな
生まれも育ちも性別も、趣味も培ってきた学びも得意分野も、わたしとは殆ど何もかも異なる夫が、何か起こった出来事に対してわたしと同じ感想や怒りを抱いた瞬間は非常に感慨深いものです。
全然違うルートを辿っている筈なのに、最終的に行き着く先が一緒なんて。
夫とわたしは違うと認識しているからこそ
違って当たり前だと思っているからこそ
同じ部分があると感動するのです。
夫と思いを共有できて楽しい。
同じことに一緒に憤ることが出来て嬉しい。
「あなたのことはわたしが一番
よく分かっている」
という言葉ほど、嘘くさいものはありません。
そんなこと、ある筈ない。
自分のことを自分より理解している人が、例え家族だろうがパートナーや恋人だろうが、いるわけない。
わたしは夫のことが大好きですが、夫のことは夫が一番分かる筈という敬意を忘れないようにしています。
最も近くで最も長い時間を共に過ごし、自分を一番大事にしてあげられるのは、自分です。
言い切る人は信用できない、と昨日書きました。
でもわたしは敢えて断言します。
わたしの気持ちを表現できるのは、わたしだけだから。
わたしは、知らない。
知らないことがたくさんある。
きっとわたしは、あなたのことを知らない。
分かってなどいない。
その前提条件があるからこそ
「でも、分かりたい」という気持ちが湧いてくるのだと思うのです。
人は、歳を取れば取るほど
知識を得れば得るほど
地位を高めれば高めるほど
自分はよく知らないのだ
分かってなどいないのだ
ということを知るべきです。
よく知らないのに、知ったような顔で人を断じてしまうのは酷く傲慢なことだと、わたしたちは知らなければなりません。
分からないからこそ、あなたを分かりたいという厳かな気持ちで人と向き合わないといけません。