スキがつかなくたって別にいいもん
いいの。
noteは自分のモヤモヤについて熟考して整理して昇華させる為に書いているのだから、PVが伸びなくたってスキが付かなくたって。
いいの、いいの。
と自分を慰めている時点で、PVやスキの数を気にしてしまっている証拠ですよね。
人間だもの。
(みつをさんは真理をついている)
承認欲求、ありますよねぇ。
あるわー。あるんだなぁ。
10~20代の頃のような、何というか、ドバドバした欲求は影を潜めたものの、40にして時折、あ、承認欲求、ここにいるな、ということに改めて気付く瞬間がありますね。
ガスパチョの胡瓜みたいに。
ラタトゥイユのセロリみたいに。
溶け込んでいてぱっと見では気付かないけど、口に含んでみて初めて「あ」ってなる感じ。
ああでもないこうでもないと一生懸命に入魂して書いたnoteにスキが付かず、エア鼻くそをほじりながら適当にスマホで書いたnoteに意外とスキが多かったりすると、嬉しいような、やるせないような気持ちになったり、します。
本人の真剣度と他者からの評価は
必ずしも一致しない。
「だって頑張ったんです」
という論理は大人の世界では通用しない。
そんなの、分かり切っていることなのに。
なーんだ、ちぇっちぇっ。
いいもん、別に。気にしてないもん。
と、見てほしいし褒めてほしいのに注目されたくはない、という捻じれた欲求を抱えた幼いわたしが顔を出します。
でもねぇ。
そこは大人です。
たっぷり時をかけて作成した心のアルバムから「でも、あの時の方が悔しかったな」という思い出を取り出して反芻してみたりします。
あの時、アイツあんなこと言いやがったな。
若い娘だと思って見くびって。
今だったら只では置かぬ、と怒りがぶり返したりします。
仮に今同じことが起きたらどう言い返してやるか考えてみたりします。
やっぱり相手にとって一番怖いのは、冷静な敬語でしょう。
おばちゃんのドスの利いた声でゆっくり焦らず、相手の盲点を突きます。
丁寧語も効果的に使います。
「~でいらっしゃるの?」
「あら、そうなの」
というような山の手言葉も、大いに相手を苛立たせる筈です。
相手が言葉に詰まって
「女のくせに」
「ババアが偉そうに」
とか言ってきたら追い打ちをかけるチャンスです。
最後まで笑顔を崩さず、おっとりと相手をコーナーに追い込みます。
出来る。今のわたしなら出来る。
…
そんな楽しい妄想を脳内で繰り広げていたら、何に対して拗ねていたのだったかすっかり忘れてしまいました。
自分で自分に適したおもちゃを与えて自分の興味関心を逸らし、自分を上手にあやすことが出来るようになる。
それは、大人ならではの強みだと思うのです。