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読書という体験
わたしはアクシデントが苦手です。
JKの頃から「将来は縁側で茶をすするような日々を過ごしたい」と公言していたほど、心の安定を重要視してきました。
でも最近、まったく何も起こらないとnoteに書けることがなくなるな、ということに気付きました。
(なくなっても誰も困りませんが、わたしの心の潤いが目減りします)
大きな出来事でなくても、コーヒーショップで従業員同士のやり取りを目にしたり、電車の中で乗客の会話が聞こえてきたり、同僚と話していてふとした拍子に自分の思いを語っていたり、そういう小さな「心の動き」がnoteの1000文字に繋がるのです。
(わたしのnoteは概ね1000文字前後でお届けしています)
もし仕事を辞めたら、元々出不精のわたしは外出が億劫になって家でダラダラしてしまい、書くことがなくなってしまうことでしょう。
アクシデントは望まないし、心穏やかな毎日を過ごしたいけれど
「わたしも同じようなことがあったな」とか
「あんな言い方しなくてもいいのにな」とか
「実はこういう本音があったんだな」とか
頭の中で色々考えて、それを文章に起こす作業はとても楽しい。
せっかく人間として現世に生きているのだし、考えるという暮らしの潤いは出来れば無くしたくない。
自分が外出しなくても、誰かと交流しなくても、心の動きに繋がるのが読書です。
物語を読むことは、わたしには思いも寄らない豊かな想像力を持った作家さんたちの旅に同行させてもらって登場人物たちと共に人生を過ごすようなものだし、
エッセイを読むことは、実際の交流をすると疲労困憊してしまうわたしの、心の女子会*のようなものです。
(*注:作者の性別関係なく色々読みますが、エッセイを読んでいるときの「わかる!そういうことあるよね!」という共感体験は、現実世界に置き換えると「女子会」のような気がします)
旅に出るのも女子会に参加するのも、わたしには刺激が強すぎて頻々とは執り行えませんが、本の中ならそれが出来る。
わたしにとって、読書はすなわち体験です。
本を閉じればたちまち元の世界に戻れるという安心感もあるし。
(『はてしない物語』じゃなければね!)
それが、わたしと本とのお付き合いです。
このところはnoteが楽しすぎて全然進まないけど…