自己肯定感、低めでもいいことあり〼
わたしは、自分がいなくなっても然したる支障はないな、と思いながら日々を暮らしています。
いじけているわけでも「そんなことないよ」などと慰めてほしいわけでもなく、ただ実感としてそう思っています。
それなのにお優しい皆さんにお気を遣わせてしまうのは面目ない。だから、普段の生活でうっかり口に出してしまわないように気をつけています。
むしろわたしは、わたしに全決定権があり、わたしがいないと回らない、という状況の方が、よりしんどく感じるのです。
以前、音楽に熱を上げていましてね。
その中で、わたしにはピアノという楽器は向いていないことを痛感しました。
だってピアノって、一人で全部請け負うでしょう。自分で低音も高音もリードも後続も全体のコントロールもすべて出来てしまう。
ピアノの発表会でわたしが弾き始めなかったら、完全に無音になってしまう。
その状況は、わたしにとってひどく重荷でした。
いてもいなくても別に問題はないけど
いるとちょっとだけ、いいことがある
くらいの位置が、わたしにとってのベストポジションです。
だからオーケストラで全体の内の一人、になったときの心地よさといったらもう。
疲れたら時々休んでも大きな影響は無く、わたしがいなくてもパート内に同じ旋律を奏でている他の子がいる、という安心感。
会社で一介の事務員として働くのが落ち着くのも、そういうことなのかもしれません。
自己肯定感を高めよう!
という言説に、異論はありません。
優秀なのに「わたしなんて…」と卑下している人を見たり、周囲から愛されているのに自己嫌悪に陥り打ちひしがれている人を見たりするにつけ、もっと自信持っていいのにな、と思います。
みんなもっと、自分の価値を認めていいと思う!
(どの口が言うのか)
でも、自分は無価値と思って生活していると、時々いいことがあるのも確かです。
ふと誰かに褒められたときの喜びが、ひとしおなのです。
あなたがいてくれてよかった
あなたが担当でいつも助かっている
というような言葉を掛けられると、毎回、いちいち、天にも昇るくらい嬉しいのです。
え?わたし役に立ってます?
生きてて大丈夫ですか?
迷惑じゃないんですか?
やった!よかった!
思うのですが、自己肯定感がすごく高い人は
「あなたがいてくれて助かる」に対して
「でしょうね」と思うのではないでしょうか。
だって、自分の価値が高いことを知っているわけですから。
でしょうね、までいかなくても「嬉しく思います」くらいの穏やかな喜びなのではないか。
例えば、ECサイトの商品の感想ページにコメントを書き込んだときの「(自信を持っておすすめしている商品ですから当然ですけれども)お客様に褒めていただいて嬉しく思います。」という返信のような、冷静な感じ。
そう考えてみると、自己肯定感が高いのも低いのも善し悪しであり、結局自分の性質にしっくり来る立ち位置を見つけることが、一番重要なんじゃないかなと思います。