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羨ましくてムカついてきたときにすること

先日、冬の街を散歩していたら、高層ビルのひしめく広場でどこぞの中学校の合唱部が歌を披露していました。

司会は2年生で(と自己紹介していて)、彼女は同じく司会を務める3年生と何やら楽しそうに目配せしながら、実に生き生きと、堂々とした振る舞いを見せていました。

こういう、今を生きる若者の眩しい姿を見ると、いけないと思いつつもつい、就職氷河期末期世代の自分と引き比べてしまいます。

わたしが中学生だった頃、部活は過剰と言えるほどに上下関係が厳しく、先輩が間違ったことを言っていても、その誤りを指摘したり、新たな意見を提案したりすることは許されませんでした(言えば苛烈なイジメが待っていました)。

生まれた時代が違っていたら、わたしにもあんな風に胸を張って生きる道があったのかなと、考えても詮無いことを考えてしまうのです。

わたしはわたしで幸せだし
比べるものではないこともわかっているし
あの子にはあの子の苦悩があるはずなのに、
でも。

母に、「あんたはみんなに守られていいよね」と言われたことがあります。

末っ子のわたしは生まれたときから家族全員に庇護され、結婚してからはやさしい夫に甘やかされ、弟妹や子どもはいないので、守るべき存在もいません。

若い時分から子育てに明け暮れ、寄りかかれる人の無かった母からすれば、わたしはさぞかし甘ちゃんに見えたのでしょう。

母がわたしに抱いたような、嫉妬とも羨望ともつかない思いを、わたしは下の世代に対して感じているのかもしれません。

多様性社会
男女共同参画
SDGs
ハラスメント
コンプライアンス

わたしが社会に出た頃は存在しなかった、あるいはあったかもしれないが一般的ではなかった考え方が「当たり前」になった今の時代、たとえば我が部署の新人さんはあからさまなセクハラやパワハラを受けにくいし、グレーゾーンの怪しい言動は近しい先輩やわたしが盾となって跳ね除けます。

一方、かつて新入社員だったわたしは、わたしよりも遥かに過酷な就職氷河期を勝ち抜いてきたが故に激烈に厳しい先輩たちに育てられ、ハラスメントを受けても誰も守っちゃくれないので自分でなんとかするしかありませんでした。

抵抗する手立てがどこを探しても見当たらないので、セクハラおじさんや痴漢男をできるだけ刺激せずに、被害を最小限にしてなるべく早く自分の傷を癒す対処法ばかりを身につけました。

そんなわたしは新人さんについ、「あなたはみんなに守られていいよね」と、母がわたしに掛けたのと同じ言葉を吐いてしまいそうになる、けれどもそこはグッと堪えます。

たぶん、新人さんは新たな世を新たな視線で見つめています。
わたしが知らなかった違和感や、わたしが感じないようにしていた痛みを感じているかもしれません。

他者はその人独自の世界を生きていて、それは一部分わたしと同じかもしれないけれども、ほぼ、別の世界。

みんなちがって、みんなしんどい。

人を羨む前に、あの頃傷付いたわたしに今のわたしが何をしてあげられるか、今のわたしは何をしてあげたら幸せなのか、考えたいと思うのです。

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