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着飾っても普段着でも、みじめ

持っている衣服の中で、一番高級なとっておきを身につけてパーティーに出席したときって、いつものお団子頭とTシャツに、カジュアルなジャケットとスラックス、それにちょっと良さそうな真珠のネックレスをしている、くらいの人が輝いて見えませんか。

「普段通りのわたしを保ちつつ、質のいいものを身に付けてきたのよ」という風な、肩に力の入っていないリラクシーな感じ。

素敵だなと思い、次の機会では飾らないわたしを演出しようと心掛けると今度は、隙のないメイクを施し、明らかにブランド物で高価そうなドレスを身に纏った人が神々しく見えてきたりします。

「ここぞとばかりにお洒落しましたよ」と堂々とその場の雰囲気を愉しんでいる格好良さ。

そうすると途端に、普段通り+αの自分がみすぼらしく思えてきます。
こんな格好で来てしまって主催の方への失礼にあたらないか、心配になってきたりします。

何故でしょう。
わたしは、着飾っても普段着でも、みじめだ。

いくつになったら「こう見られたい」ではなくて「わたしがこれを着たい、これがわたしのスタイル」という境地に至れるのでしょう。

いや、薄々気付いているのですが、恐らく年齢を重ねればいいというものではありませんよね。

若くても年老いていても、そこがどこであれ自信を持ってすっくと立てる人もいれば、どこに行っても不安な気持ちで周りをキョロキョロ見回す人もいる。

わたしは中年にして未だ不安一派に属していますから、もうチャンスは老年期にしか残されていません。

出来ることなら、樹木希林さんや夏木マリさんのような、どこに行っても変わらない(ように見え)豪胆で磊落で周囲に流されず、それでいて懐が深く温かみのある婆様を目指したいと思っています。

ナウシカの大ババ様、ラピュタのドーラ、千と千尋の銭婆、それからハイジのおばあ様(ゼーゼマンさんのお母さん)にも憧れがあります。

思っていれば、いつか叶うのでしょうか。
小さなことで怖気づかない、自信と慈愛に溢れた婆様に、わたしはいつか、なりたいのです。

ここまで考えて、ふと思いました。
わたしが挙げた憧れの彼女たちも、どこに行っても変わらない「ように見えている」だけだと。

心の中までは覗けませんから、彼女たちもまた、実は不安や迷いを内に秘め、奥底に繊細な気持ちを併せ持っているのかもしれません。
いや、むしろ、自分の中の弱さを認めているからこそ、他者への温かみが生まれるのではないでしょうか。

わたしは、みじめなままでいいのかもしれません。わたしのままで、堂々と歳を取っていきたいと思います。

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