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「出くわす人の大半とはうまが合わない」この世界で

noteには公式アカウントの連載がいくつかあって、向坂くじらさんという人をわたしは、noteで初めて知りました。

向坂さんの記事は更新される度に読んでおり、その着眼点と思考力に毎回唸らされていますが、ときどき「わたしも同じことを感じていた、けれども言語化して(できて)いなかった」表現がひょっこりと登場します。

以前わたしのnoteで紹介したのは「同じくらい性格の悪い」というもの。

今回は「出くわす人の大半とはうまが合わない」という表現でした。

少し引用してみます。

就職活動はあまりうまくいかなかった。出くわす人の大半とはうまが合わない。それなのに、わたしの生存や働く意義について、また人生の意義なんていうものについて、ときにその人たちと話さなくてはいけなかった。ひとりで考えなくてはいけない問題と、たかだか就職程度の問題が、しかし無遠慮につなげられてしまうのがいやだった。

「ことぱの観察 #18〔寝る〕」向坂くじら

初めて降りたつ駅。
初対面のおじさん(時々おばさん)との会話。
ヒールやスーツや合皮の肩掛け鞄。
不自由さ。窮屈さ。
やたら眠い日々。
半分意識を残しながら眠る。

あった。
あったなぁ、こんなこと。

***

就職活動に限らず、人生で「出くわす」大勢の人たちのうち、何%くらいの人を「うまが合う」と感じるかは、かなり個人差があることでしょう。

外向的な人の対人ハードルは時に驚愕するほど低いことがあるけれども、わたしは内向的な人々のなかでも一際、人と「うまが合わない」ことが多い、ような気がします。

時折、もしかしてと思って、いっとき頻繁にやり取りするようになったり、それが恋愛風味のことであればお付き合いしたりもしましたが、長い期間、あるいは濃い時間を過ごすと、やっぱり違う、となる。

まさに「出くわす人の大半とはうまが合わない」人生です。

40年以上生きてきて、学校にも通ったし、職場もいくつか変わったし、その時々でそれなりの人数の方々と出会いと別れを繰り返してきたわたしが今、自分から能動的に交流を求める人は最愛の夫と、1人の友だちしかいないことがそれを如実に表しています。

今まで出会った人の内、2人。
いったい、何分の2なのでしょう。
何%?
確率が低すぎます。

あの頃。
就職活動をしていた頃。

やたら眠かったのって、若者特有の性質もあっただろうけれども、うまが合わない人々に、ただでさえ大学やバイト先で大量に会うのに、加えて面接先でも会うようになって、しかもその人たちに、絶対にこの時間内では分かってもらえないだろう自分の良さを、それでも無理矢理伝えようとする果てしない徒労の為ではなかったか。

今正に、うまが合わない人たちと日々大量に会っている皆さまへ。
本当に毎日、疲れますね。
あの頃ほどではないけれど、わたしは今もしんどいし、眠いです。

よくやってますよね。お互い、まじで。

これからも可能な限り手を抜きつつ、こまめに休息をとって、うまが合わない人だらけのこの世の中を、だましだまし渡っていきましょう。

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