オタクへの憧憬②
前回までのお話
同僚のあまりの愛社精神に驚愕して、
ひとつのものに愛着(執着)を持つ人と持たない人がいるなということに思い当たり、それに関連する苦い記憶を思い出した、という段です。
わたしが高校生だったころ(20年ちょっと前)は、今よりも所謂「オタク」に対して「気持ち悪い」という評価が下されていた時代でした。
好きなキャラクター(総じて美少女)のフィギュアやポスターをリュックに沢山詰めて額にバンダナを巻き、チェックのネルシャルを身にまとって「デュフフ」と笑い秋葉原に集う…
オタクと言えばそんなイメージでした(記憶では)。
今みたいに、かわいらしいアイドルが自らの推しについて熱心に堂々と説明する、なんて多様性はありませんでした(わたしの知る限り)。
オタクと言えば「キモい」という時代。
そんな時代に身を置いていても、高校生のわたしにはオタクに対して「気持ち悪い」という感情が湧きませんでした。
むしろ、生まれながらに顔とスタイルと運動神経が良い、というだけで何も考えてない(ように見える)クラスの人気者に対して「けっ」と思っていました。
高校生のわたしは、
いつもクラスいち陰鬱な表情を浮かべている、生粋のオタクと名高いクラスメイトにも話し掛けてみて、好きなゲームやフィギュアについて熱っぽく語る彼の話を聞きました。
どの角度から質問してもよどみなく的確に答える彼の膨大な知識量に、愕然としたものです。
みんなから気持ち悪いと言われるんだ…
という彼の悲しみの吐露に対して
「わたしは全然気持ち悪いと思わないよ!」
「そこまで突き詰められるのは才能だと思うよ!」
「堂々としてたらいいよ!」
などと伝えたこともありました。
わたしはある日
彼から呼び出され、ラブレターを手渡されました。
わたしは彼に異性としての好意を抱いているわけではなかった為、ご意向には沿えないと返事をしました。
彼とはそれ以来、疎遠となってしまいました。
悲しかった。
悲しいけどわたしはどうしようもなく、加害者でした。
彼をその気にさせておきながら振った、ひどい女。
彼の話に興味があったのは本当だし、気持ち悪いと思っていないことも、すごいと思ったことも本当だったのに。
わたしたちが恋愛するセクシュアリティの組み合わせでなかったら、今でも友情は続いていたかもしれないのに。
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物事を深く考えないで何となく生きている人より、何かにむちゃくちゃ執着している人に興味を惹かれるのは、今でも変わっていません。
オタク、ファン、サポーター、職人や研究者や大学の教授だって、
みんな何か一つのことにとんでもなく熱中することで成り立っています。
彼らの話は、本当に面白い。
わたしはとっても、薄っぺらい。
わたしは彼らのその集中力に、ただただ驚き、尊敬の念を隠せないのです。
それはたぶん、わたしに搭載されていないシステムだからなのだと思います。