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集団行動不得意

オードリーの若林さんが書いた『社会人大学人見知り学部 卒業見込』という本を読みました。

なぜこの本を購入するに至ったのだったか思い出せず、そうだ、アルロンさんがnoteでオススメしていたのではなかったか、と思ったのですが、アルロンさんのところで検索してもそれらしい記事に引っ掛からず、はて…と思っています。

どなたか、我こそはこの本をオススメしたぞ!という方がいらしたら教えてください。

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この本の中に、放送作家に向いていそうなのに頑なに拒み、理由を尋ねると「人間関係不得意」と返してきた人のエピソードが載っています。

わかる。

人間社会で「普通に」やっていこうとすると、どうしてもコミュニケーションからは逃れられません。

コミュニケーションは、ホモサピエンスをホモサピエンスたらしめるものだからして否定するわけにはいかないのだろうけれど、でも、ものづくりの現場で、ものづくりの才能よりコミュニケーション能力の方が重要視されるのっておかしくないか?いや、おかしいだろと思う気持ちは、大変よくわかります。

わたしは、人と関わることは全然得意ではないけれども、不得意なのだろうなと容易には悟られないようにする技術を磨くことで、注意深くこの世を渡ってまいりました。

でも、気を抜くとそこには子どもの頃、母親の影にいつも隠れていた人見知りの小さなわたしが表れるのであり、人と群れることを嫌い、常に1人になれるチャンスを伺っているわたしの本音がうっかり溢れ出るのです。

集団行動不得意

ある程度は気を遣うべき相手と一緒にいる場合、本当は行きたい場所、本当に食べたいものにありつけるとは限りません。

意見の相違があったときは双方の主張を擦り合わせる必要があり、そういうときに我を通すのはしんどい。

だからわたしは、1人が好きです。

まして、30人もいるようなクラスで行動を共にするなど、わたしに向いているわけがありません。

ありませんでした。

でも、自分が集団行動不得意であることに気付いたのは、大学生の頃でした。
集団から抜け出てみて初めて、あ、わたし向いてなかった、ということに気付けたのです。

何か漠然とした息苦しさを感じるとき、わたしたちは得ること、吸収することに意識を向けがちですけれども、抜け出すこと、手放すことで楽になることも多い、のかもしれません。

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