気にならないこと/なることはあなたの
約◯◯とか
◯◯くらいとか
◯◯程度とか
曖昧な数字をどの辺りで区切るかって
結構、性格が出ますよね。
ということを
「いやー前の家、5年10か月くらい住んだから、今の家にまだ馴染めなくて、なんだか人ん家にいるみたいなんですよね。」
という会話が聞こえてきたときに、思いました。
5年10か月、くらい。
恐らく、正確に言うと5年と9か月と20日とか、そんな感じの日数なのでしょう。
でもわたしだったらたぶん
同じ年月その家に住んだとして
6年くらい、とか
6年弱などと
表現するだろうなと思います。
わたしは、宵越しの金を持たない江戸っ子気質…と言えばかっこいいような気もしますが、どんぶり勘定気味なところがあります。
例えば
「飲み会は1人あたり3,780円です。」
4,000円でよくない?
余ったお金は次の飲み会に充てればよくない?
あと
「今日、15:55頃に外出します。」
16時前くらいに出ます、でよくない?
もしくは
「97g程度の水を入れます。」
100g入れていい?
…というように。
わたしは今、事務員として働いていますが
こんな性格ですんで
経理とか、総務とか
1円のズレが決して許されない部署には
さぞ向いていないのだろうな…と思います。
1gのズレが失敗に繋がるお菓子作りにも。
逆に、ざっくりした情報で差配する仕事や
後から調整できる料理は、気が楽。数字の「大体」はかなりいい加減なわたしです。
…が、言葉に関しては割合、細かく使い分けていることにもまた、思い至ります。
例えば相手に何か情報を開示して欲しいとき「ご教示いただければと思います」の語尾を
「存じます」
「幸いです」
と言い換えるとき
わたしの中では微かにニュアンスが異なります。
この言い方は本当に最適で正確な表現だろうか、と迷えば類語辞典の海に飛び込みます。
ら抜き言葉や「させていただく」の多用にも抵抗があります。
人によっては「言葉なんて伝わればいいじゃないか」と思うでしょうが、わたしには気になるし、例えそこまでの配慮が不必要な場であっても、わたしの矜持としてこだわりたいのです。
わたしは、「これ、まだ着れるよね」とか言っている人を見ると「ら」を!「ら」を入れて!と思いますが、きっと、数字に強い人からはわたしが「(数字に)大雑把過ぎる」ように見えることでしょう。
気にならないことと
気になること。
曖昧なままで抵抗を覚えないことと
誰に何と言われてもこだわりたいこと。
それはそれぞれの来し方を表す、ひとつの指標なのかもしれません。