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読書嫌いだったやつが読書するようになった話

上記の記事の続き。旅斗という人物が読書嫌いだった理由を知りたい人は読むことをオススメする。

で、早速本題に入ると、どうやって読書するようになったかというと、


一言で言うなら、



危機感」かな。




高校時代の話だが、部活をする気がなかったから何かに打ち込むとしたら、勉強しかなくなるから、高校入学後は心機一転として学業に力を入れようと思いながら高校生活を過ごしていた旅斗である。

あまり頭のいい高校じゃなかったというのもあって、勉強すれば誰でも上位になれる難易度だったから、ワタクシもそこそこ上の順位だった。だけど、その中で圧倒的に足を引っ張っていた科目があった。

それが「国語」だった。

本をまともに読んでなかったから、読解がうまくできていなかったのだ…。本を読まなかったツケがここで回ってきてしまった…。当然自分は理系ではなく、バリバリの文系だったから国語が苦手なんて言ってられない。

こういった危機感は感じていたものの、本を読もうと思う気にはまだなれなかった。むしろ勉強という名の気合いでなんとか克服してやろうという暴挙に走っていたぐらいだ(さすが自称元体育会系だ)。

まぁ、当然克服できなかったんですけどね。

しかしそんな中、ワタクシが本を読もうと思うきっかけが訪れた。

それは高校一年の学期末の国語の題材となっていた純文学だった。授業として取り上げられたのが、芥川龍之介の「羅生門」だった。

これも多くの人が授業で習ったでしょう。また当時、ピース又吉が芥川賞に選出されて話題になっていたこともあって、ワタクシにとってもタイムリーに感じていた。

だからこそ、文章を理解するのは難しかったものの、とっつきやすい内容ではあった。

そして、その授業では、物語の内容だけでなく、芥川龍之介という人物についても触れられていたのだ。

蜘蛛の糸などの人間の奥底に秘めている感情を描写した割とえぐい内容の小説が多く書かれていること、そして病んでいたこともあって自殺をしてしまったということなど、なんとなくだが、天才作家らしさというものを感じたのだ。

そして、彼の半生と羅生門という物語をテスト勉強を通じて向き合い続けたことによって、初めて9割以上も点を獲得した(ちなみに当時国語を担当していた教員曰く、自分が作ったテストで一度も満点を取られたことがないと言っていたため、勉強すれば誰でも上位になれる高校にしてはそこそこな難易度ではあった)。

そこから、小説って結構面白いんだなということに気がついて、読むようになった。

なんていうストーリーによって、小説を読むようになり、今では読書を趣味として継続しているのであった。めでたしめでたし。








というようなオチにする気はないよ(笑)








面白いんだなとは思ったが、読書を好きになったとは一言も言っていない。

「じゃあなんで読書を続けていたの?」

と思うかもしれないが、活字慣れするため、国語や現代文などの成績をよくするため、読解ができるようになるために続けていたからだ。そのためにたまたま小説という、ワタクシにとって読みやすいジャンルを見つけたから読み続けていたのだ(今思えば、それだけの理由でよく読書が続いたなと自分でも思う)。

大学生になってからというと、ほとんど小説は読まなくなった。

国語のような読解が試される試験もなかったし、レポートを作る関係で読書しなくても書籍を探して読まされる羽目になるからする必要もなかったし、というような理由で自分から読書することはほとんどなくなった。

ちなみにさっきから「ほとんど」と表現しているのは、大学時代では気まぐれで何か小説を読んでいた時があったからで、ワタクシにとって習慣的に読んでいるように思えなかったから、少なくともこの時は読書は趣味とは言い難いと思っているからだ。

しかし、大学卒業後のことだった。

2023年7月に宮崎駿監督の最新作、「君たちはどう生きるか」が上映。

ワタクシもこの映画を見た。自分なりに考察するのが好きだったため、理解しがたい映画だったかもしれないが、個人的には予想もしていなかった冒険の要素もあって楽しめた。

見終わった後に判明したのが、この映画に元ネタとなった小説があると知り、それが「失われたものたちの本」という海外のファンタジー小説だ。

その本が気になり、近場の本屋さんに寄って購入したのだ。

長編だったこともあり、毎日読む習慣が久々に身につき、読み終えた時には、他にも小説読みたいなと思うようになったのだ。そこから、今まで読んだことのなかった名作や個人的に気になる物語やジャンルなどなどを手に取るようになり、気づけば、ワタクシは読書することが習慣となり、今でも趣味として本を読み続けている。

ただし、他の読書家と異なる点もある。

それは、旅斗は「遅読家」であることだ。要するに読むのが遅い。

高校と大学時代で速読を意識して読んだことがあるものの、速読を意識すると内容が頭に入らなくなり、本を読んでいるというよりも、本に書かれている文章を眺めているように感じがちだった。そのため、どんなに速読で多くのページを読んでも、それを読み終えたとしても、

「また読もう」

「続きはどうなるんだろう」

「他の本も読みたい」

というポジティブな感情が起こることはなかった。これも読書をしてこなかったツケでもあるかもしれないし、速読ばかり意識していたせいで、特に大学時代は、気持ち的な問題で読書する習慣がなくなったのかもしれない。

この経験から、読むときは自分のペースを意識し、早く読み終えようとするのではなく、本の内容をちゃんと理解することを重点に置きながら、文字の世界を楽しむようにしている。

読書する上で、ただ書かれていることを吸収するのではなく、小説だろうが、ビジネス本だろうが、読み終えてどう思ったかが重要だと思っている。

「学者は之を行うを貴び、之を知るを貴ばず」

という某ゲームで知った諺があるように、知識を得るだけでなく、その得た知識を実行することが重要だと思っている。ビジネス本とかに書かれていることをそのまま素直に実行しろとまでは言わないが、せめて読み終えてどう感じたか、自分はどう思うかなどを考えることぐらいなら誰でもできるはずだし、それだけでも知識のアウトプットとしては十分ではないかとワタクシは思っている。

ただし、自分の心が動くほど、感動を得るほどの知識や考え方を吸収したのならば、できる限り実行に移すのがいいと思う。


学ぶということは感動すること。


だと思っている。



こうして、気がつけば、読書を趣味と化したのだった。

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