余白に見る。
余白、或いは余りの使い方を、時には見直さなければと思う。
有効活用している気になって、本当は必要な余白まで使い切ろうとしていないか。
たち切るように、余韻を他のもので埋め尽くそうとしていないか。
もう限界に近いのに、擦り切れるまで余力を使い果たそうとしていないか。
そんなに話さなくても大丈夫なのに、何か言わなきゃと言葉まみれにしていないか。
休めばいいのに、休めるのに、そうできない自分がいないか。
緊張、不安、焦りなんかでいっぱいになっていくと、何かにつけ余白を残せなくなる。余裕が無くなるというものだ。
でもその余白の部分こそ意識しておかないと、自分が消えていく。自分でなくなっていってしまう。
輪郭を成すものは、目に見えている部分だけではないんだ。その余白の部分が、自分の輪郭を明確にしてくれることも多いんだよと、何度でも自分に言っておく。
でも。
枠に収まらない、飛び出したい時もある。余白を使い果たして尚、「もっと」という時が。それが焦りや不安からでなく、本心で欲しているなら、その気持ちに従うんだ。それもまた、余白の扱い方で明確になったと言えるのだから。
人それぞれ、時それぞれ、事それぞれ。それは余白に見る個性なんだ。