距離感。言葉の選択。そして補完の癖。
人間関係の心地よさとか、なんか合うなと感じる人との、その間にあるものについて、この間、ふいに頭に浮かんだことがあって、おぉ~としっくりきたので、書いておくことにした。
常に考えるようなことでは無いけど、この人は話しててホントに面白いなとか、ホッとするなと思う時、時々頭に浮かぶことがあって、それが今までは、距離感と言葉の選択、の二つだった。
そして先日、補完の癖、という言葉がふいに浮かび、これをその二つに加えたことで、自分にとって人間関係の心地よさは、これらが循環して感じていることかと、とてもしっくりきたのだ。というわけで、順に書いてみたい。
距離感。
距離感は、真っ先に浮かぶ大切なもの。なのに一言では説明がつかない。
物理的なものでもあるし、心理的なものでもあるし、関係性にもよるし、シチュエーションでも変化する。意味合いが複数に渡ることに加えて、絶対的なものではなく、流動的なものなのだ。だから、これ以上の説明が難しい。
でも、そんな説明の難しい流動的なものが、合う人が居るんだから面白いし、それこそが、気が合うということなのかと思う。
言葉の選択。
言葉の選択については、こうして書くと硬くなってしまうけれど、そんな事はなくて、ただただシンプルな話だ。でも、何気ない会話、真面目な話し、どちらにも言える大事なものだと思っている。
同じことを伝えるにしても、使う言葉によって感じ方・受け取り方は変わる。だから、選ぶ言葉がしっくりくる人のほうが、お互いに気持ちがいいよね、ということ。
何気なく選んで使う言葉、考えて選んだ言葉、どちらにしてもその選択には、無意識のうちに、人の内側にある何かが影響しているものだろう。
そしてそれが、人間関係において合うかどうかを感じる部分に、作用するんじゃないかと思っている。
言い換えれば、感覚や感性が合う、ということかもしれないけど。
どうであっても、発する言葉への想像力は必要だし、相手へのリスペクトは必要。言葉はあたたかいものであって欲しいし、自分もそうでありたい。
・・・と、ここまでは、今までも思っていたこと。
そこにもう一つ、補完の癖、が加わった。今はもうこれが無いと、この話の全体像は、宙ぶらりんな感じがする。
補完の癖。
解釈とも言えるし、解釈も含めて、ではある。でも解釈と言わないのは、やっぱり違うから。
解釈は会話の中でずっと続いているけれど、補完は最終形だ。こうだ、と最終的にその人が完結した形。
意見や考えが、同じだから気が合うのではないし、違うから気が合わないのではない。
お互いの話や状況や気持ちやらを、解釈の先の最終地で「こうなんだね」と「そう」と言えるか・思えるか。誰とでもというのは難しいかもしれないので、だからこそ、それが合う人とは、気が合うとか、相性が良いと感じるんだろうと思う。安心して自分のままで居られるから。
で、人間関係の中での補完って、やはり解釈の先にあるものなので、正解・不正解じゃなくて、「わかってくれた」「わかってもらえない」という質のもの。
機械的にはじき出すものではないので、その人らしい癖があると思うのだ。その癖が、安心していられる関係に大きく作用してるんじゃないかと。
最後に。
距離感。言葉の選択。そして補完の癖。
これらは、それぞれがバラバラに在るのではなくて、全てが循環作用してると感じるところが、すごく面白いなと思ってる。
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