解決することではなく、心の向きが決まること。
行き詰った時。どうしていいか分からない時。心が固まってしまった時。大切なのは、それを解決することじゃないんだと、やっと本当の意味でわかった気がする。そんな気付を得るきっかけがあった。生きて「自分」が続く限り、きっとそういうことなんだということを。
数日前にnoteに書いた、「わかります」という言葉を出してはいけないような気持ちになった件。
その相手は、実は仕事のお客様だった。その方が明るい声で言って下さった。
あの日は話を聞いてくれてありがとう、聞いてもらえて、気持ちを切り替えられたのよ。というようなことを。
私が相手だったから、ということではなくて。書いても口に出してもどちらでもいいと思うけど、自分で自分の言葉にされたからこそ、ご自身の中で何か動くものがあったのだろう。
状況が変わったわけでもないし、心が痛む出来事が、消えてなくなってしまわれたのでもない。つまり、その方の何かが解決されたわけではない。
でも、次の一歩を決められた。
それでいいんだということを、私も教わった気がしたのだ。
まだ一歩を踏み出せなくても、まずは先に心が動いたことが大事であって。
また揺れることもあるかもしれないけど、段々とその揺れ幅・振れ幅は小さくなって、その方の「自分」と一致された時には、次の一歩を踏み出されるんだろう。いや、ピッタリ一致しなくても、それに近くなれば踏み出されるのかもしれない。
こんな風に書くと、人生の大先輩にむかって偉そうに聞こえるかもしれないな・・・。
そんなつもりはまったくなくて、その逆だ。私が教わったのです。気付きをいただけて、ありがとうございましたと言いたいのは、私のほうでした。
大きな出来事にぶつかった時でも、日々の小さなことでも言えるけど、大切なのは、解決することじゃなくて、こんな風に次の一歩へ心が向かえることだ。
もちろん、踏み出すことは必要だけど、その前段階の「心の向きが自発的に決まる」ことが、先決であって大切なことだと思う。
人生って、解決の積み重ねで出来るんじゃない。生きて「自分」が続く限り、ただ次の一歩を重ねていく。それを繰り返すことだ。
そのために、心の舵取りは自分でしなければ。生きてる限り、終らない舵取りを。