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エミメルダイアリーこと後藤千里から境界性知能の弱者について考える

最近、一部界隈での人気を集めたツイッタラーが突然垢消しをした。その名をエミメルダイアリーという。人気を集めたと言っても、彼女の活動が評価されたのではなく、むしろ他者目線が出来ていない滑稽なツイートや勘違いな発言が彼女と同じ界隈の人達に目をつけられただけである。


簡単な紹介

エミメルダイアリーとは、アラサーの婚活女であるエミこと後藤千里(ごとうちさと)が、バツイチ男のメルこと後藤修久(ごとうのぶひさ)と付き合い、主に惚気を書くアカウントを運営していた。そのIDが“emimel_diary”であったことから「エミメルダイアリー」(またはえみめるだいありー)と呼ばれ親しまれもとい嘲笑されている。恋人ないし夫婦の性生活までも赤裸々に綴る姿はもう凡人には理解がし難い。


そもそも、アラサーにもなって個人の恋愛事情を有名人のように毎日投稿しTwitterに張り付き、いいねをもらい絶頂している悍ましさが読者には分かるだろうか。このような行為は普通であれば中学生ないし高校生で終えておくべきであろう。遅くても大学生だ(彼女が大卒かどうかはさておき)10代のうちに青春を終える事が出来なかった哀れな亡霊は狂ったように日夜呟き、自己顕示欲を満たしている。
「あんなに大きかっためるくんの🐶くん(男性/器の隠語)がすんなり入るようになりましたのよ🤤」「どんどんめるくん好みのカラダにされていくの」なんて、どんな人生を歩んだらアラサーで全世界に発信できるというのか。まごう事なき境界性知能ないし発達障害の疑いがある。


欲望と自己愛の亡者は誰も擁護しない

上記の基本的情報を見ると、単なるいちTwitter利用者が情事等を書いていて不運にも目をつけられ嘲笑されるようになったと思いがちではあるが、実はそうではない。エミメルダイアリーを庇い支えようとする人は私の観測範囲では皆無である。彼女に近づきリプライやDM等している人達も面白がっているだけであり、その証拠に5ちゃんや2ちゃん等の専用スレではしょっちゅうLINEやDMが晒されている。それだけでなくオフ会の様子なども晒されている。
何故彼女はここまで嫌われているかというと、同じ惚気界隈の人達に恨みを買っているからだ。ひとえに彼女の言動によるものである。


格下と判断した相手には強く出る

格上と判断した者には胡麻をすり擦り寄る
自分の能力を過剰評価するだけに留まらず、その尺で他人を見下す
逐一マウントを取る
過失を注意されても反省の態度がなく空気を壊し加害者のはずが途端に形跡逆転し被害者ぶる


リアルないしTwitter内で関わった人達からの印象はこれだ。こうした彼女の性格については「発達・知的障害によるもの」とみなしがちであり、そしてそれも含めて嘲笑して来た。
しかし、「笑えないラインになった」などの理由で更にヘイトを加速させたことが原因であろう。各地で惚気垢で縁した人達からDMやLINE、顔写真、本名等の個人情報まで回され様々な媒体で記事を書かれているのがその証拠である。


しかし、これに対し嫌悪感を示しているのが最近エミメルダイアリーこと後藤千里を詳しく知った人、それも障害当事者や家族などだ(注記:惚気垢は発達障害当事者が多い)
「エミメルダイアリーだけをみて障害者の本質がこれだ、なんて言わないでほしい」「後藤千里の性格が悪いだけであって、障害者を差別する言い訳をするな」と言ったものである。
どちらにせよ「エミメルダイアリー(後藤千里)の言動は極めて自己中心的であり、嫌悪の対象である」という認識は両者共有しているようだ。


後藤千里は福祉では救えないのか

「後藤千里が惚気界隈にやって来るまでどこの界隈にいたのか」という事は未だに知られていない。が、あの自己顕示欲ならおそらくどこかしらの界隈にいたが、今回のようにやらかしをして界隈から鼻つまみ者にされ惚気界隈にたどり着いたのであろうとよく言われている。本人も生きづらさを感じているのではないかと言う声もあり、「社会福祉につなげるべきだ」という声も多く耳にする。しかし社会福祉に長ける人ほどこの問いにはNOと回答している。


それは彼女は人からの真摯な叱責ないし愛のあるアドバイスを拒絶し「そんなこと言うなんてひどい」と被害者ぶるスタンスを取っているからだ。「めるくん(後藤修久)はちゃんと話し合いができる人でよかった☺️」と何かで揉めた際に書いていたが、よくニコ生配信においてエミメルダイアリーを紹介している男性:ばるたん氏にそのエピソードを配信された際は「話し合いができないのはお前の方であろう」と 50人近くの人間に一斉に突っ込まれ圧巻の光景であった。しかし、救いの手を払い除け自身の都合のいい耳障りの言葉しか受け付けない彼女の愚行権を侵害するわけにはいかないであろう。


現実には友達が居ないためTwitterで出会った人達に執着し、人間関係を築こうとする哀れな姿を後藤修久ないし親族は知っているのであろうか。彼女には本当に困った時に助けてくれる友達なぞ1人もいないのであろう。もしかしたら過去には少なからずいたのであろうが、彼女の度重なる言動により皆離れて行ったのは容易に想像できる。し、彼女も自身の何が悪いのか省みず他責している様子も然りだ。ネットの繋がり程度の人間は何か困った時に駆けつけ助けてくれる“本当の友人”なのだろうか。その可能性は皆無だ。後藤千里は“学生時代の友達”というかけがえのない財産すらない。一方で言動を助長させる無責任又は悪意ある賞賛を投げかける“ネットの友人”は沢山いる。本末転倒である。
人を見下し自身の利益のため(ここでは後藤千里の自尊心を満たしてくれる人間を指す)だけに行動し、都合が悪くなるとフォローを外し次々と新たな“友人”を求める彼女をみていると、まるで人間関係は使い捨てのように感じてしまう。まともな人間関係を築けてこなかった不幸せな人間は恋人ないし仮初の友人に執着をし、破滅させる。


これからのエミメルダイアリーこと後藤千里

筆者はその結論を出すには時期尚早と考える。彼女が自分で自身の特性に気づき認め、受け入れた段階がスタートであろう。アラサーにもなり地に足をつけてない生き方を見ていると心理療法も碌に受けてないのだろう。もっとできることがあったのに....と分野は違えど社会保障社会福祉に携わるものとして悔しさを感じる。
もちろん、福祉関係者だけの責任ではない。そもそも彼女ないし家族(保護者)が早めに特性等に違和感を持ち、適切な受用ができていればデジタルタトゥーを自らネットに刻むことなぞならなかったのである
救いの手を払い除ける弱者は筆者も知っている。生活保護を拒むホームレスだ。彼らは「体が動くうちは」と社会保障を拒み空き缶を小銭に変えながら冬も寒い路上で寝ている。何故拒むのか?それは、長い路上生活でコミュニケーション能力が衰え、ケースワーカーや同居人とトラブルになるからだ。だが こうした人達に共通するのは「自分達は保護自給者達と違い自立している」と言う他人を見下しての自己愛である。後藤千里の「能力を過信し格下と判断した者への横柄な態度」にピッタリ重なってしまうのだ。


後藤千里の自らの自撮りの投稿や性生活の投稿配信を止めさせる権利は親や配偶者、福祉関係者にはない。もちろん我々にもない。でも彼女がもし適切な機関にて治療をしていたら、まだ今のようになっていない可能性はあったのではないかと思う。
筆者は今まで彼らに「変わること」を期待していた。声をかけ続けることで「考えを改める」と思っていたのだ。実際そう言う人も少なくない。しかし、今の段階では彼女には無理であろう。おそらく後藤修久にすら無理だ。
そもそも逐一どうでもいい事に付き合わせ、物を持たされ写真を撮る彼女を見ておかしいと気付かなかったのであろうか。明らかに“ネットに載せるための写真”ばかり撮らせていたであろう。後藤修久も彼女を甘やかし結果的にデジタルタトゥーを助長させてしまった悪の根源である。もし、何もしていないのに自動的にデジタルタトゥーを刻まれてしまった後藤修久も彼女の言動に責任を取るつもりがないのであれば、離婚も視野に入れるべきではないか。バカ嫁の軽率な自己顕示欲のためにデジタルタトゥーが刻まれ住所まで特定され、家族が経営している会社まで脅かされているとなれば致し方ない選択であろう。しかし、後藤修久も含めてこうなってしまったのは全て後藤千里の責任と言動の結果である。しかし、それでもまだ彼女を受け入れて夫婦生活を続けるのであれば、“人としての常識”からまずは教えてあげてほしいと切に願う。不特定多数の人が見れるネットに写真を易々とあげない、特定されることは書かない、そして何より人が不愉快になる言動はしないと言う事だ。こんな物は義務教育ないし家庭教育の範疇であろう。彼女はこれが明らかに欠落している。

長々と書いたが、彼女の人生の更生を1人の社会福祉に携わる者として切に願う。

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