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閉鎖病棟に入院した話

私はかつて精神科の思春期用の閉鎖病棟にて入院したことがある。そのことを少し思い出した為ここに綴ろうと思う。

【 任意入院 】
始めは任意入院という形で1週間以内に退院するつもりだった。その頃まで勉強のことで頭が詰め詰めだった私はさっさと精神状態を治して、ここから退院して当時通っていた高校の特進科に戻って勉強せねばと思っていた。だが話はそこまで単純ではなかった。
初めの足枷は夜な夜な遡ってくるトラウマに襲われていた。どうしても眠れず追加の眠剤を看護師から貰う夜を過ごしていた。
足枷に釘が刺さったのは家族の事だった。母は20年ほど前からうつ病を抱えている者であった。うつ病とは人を衝動的な行動をさせる病気だ。成績関連で暴言を吐かれたり頭を叩かれたりテスト用紙を破られたりなんてよくあって、ずっとそれが当たり前だと思っていた。だが、周りの話を聞くとそれを経験してないと聞いた。阿鼻叫喚、母に対して不信的な思いが募った。
そして罪悪感と共に生まれて初めて母と距離を置きたいという気持ちが芽生えた。入院中も診断が行われたが病状は良くも悪くも悪化した。自傷行為に目覚めてしまい挙句の果てには自由時間の時に病棟から逃げ出して橋から飛び降りようとした。だが失敗した為、馬鹿な私は自暴自棄になって一時帰宅した時薬を大量服薬し自殺を図った。結局またもや自殺は失敗し病棟に戻った私は主治医から医療保護にすると告げられてしまった。まあ、当然のことだろう。今の私からしたらあの頃の私はおかしかった。

【 医療保護 】
医療保護になって私の行動が制限されることになった。まずは自由時間の時に病棟を出る場合は少なくとも1人の看護師と共にいる必要があった。それ以外にも夜にはペンケースを没収される等の制限を受けた。だが、その頃の私からしたらそれが救いだったのかもしれない。医療保護の逆にある程度拘束される方が私は何故か安堵した。まあ、これはエゴだとは思うが....
医療保護には3ヶ月ルールというものがあり最低3ヶ月は病棟に居なくては行けないという決まりがある。無論、私もそれにあてはまっていたが事態は一変した。思春期病棟であるが故いじめられるようになってしまいストレスが余計溜まってしまった。毎日泣く日々に懲り懲りした私は看護師と担当医に話し退院することになった。

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