電子レンジを愛撫する人
ホットコーヒーを飲みたいと思った。
コーヒーの残りがあったのでマグカップに注いで、電子レンジで温める。
考え事をしながら、リビングルームで片付け事をしている最中であった。
レンジがチンと鳴ったので、コーヒーカップを取り出す。あとで2階の自室に持って行くつもりで、リビングの外の廊下の階段にコーヒーカップを置く。そしてまたリビングへ戻り、片付け作業に戻る。
片付け作業をしつつ、考え事までしながら、片手間にコーヒーを取り出したので、その記憶がすっかり飛んでいたようだ。
ついさっきコーヒーをレンジから取り出したことをすっかり忘れて、「あれ?もうチンって鳴ったよな?」と思い、また電子レンジを確認しに行く。
電子レンジは僕の腰より低い位置に設置されているので、庫内はノールックで、手探りでカップを探す。
ただ、ノールックでいきなりカップを探すと、万が一、手がカップに当たって、中身がこぼれると大変なので、まず指をターンテーブルの上につたわせて、指先でカップのボトムを探し、カップの場所を特定してから、本体をつかんで取り出すのだ。
レンジのドアを開け、右手を庫内に入れる。
ターンテーブルの上にそっと指の腹をそえて、準備完了。
そしてゆっくり、表面に指を滑らしていく。
つーーーーーーーーーーーーーーっ
指先でさえも、カップボトムに勢いよく当たれば、中身はこぼれてしまう。
焦らず、ゆっくりと、時間をかけて、舐めるように指を這わせていく。
つーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
指先に反応なし。
手前の方にはなさそうだ。
今度は奥の方を探ってみよう。
ゆっくりと指を庫内の奥へと滑らせていく。
つーーーーーーーーーーーーーーーーっ
フェザータッチのように、やさしく。
つーーーーーーーーーーーーーーっ
ああァ
なんとなく官能的な気分だ。
つーーーーーーーーーーーーーーっ
つーーーーーーーーーーーーーーっ
あれ?
全く反応がない。
広範囲を探ってみるか。
今度はターンテーブルの上に円を描いくように指先を滑らせる。
つーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ
つーーーーーーーーーーーーーーっ
あれ?
やっぱり反応がない。
おかしいな。
上半身を傾けて、庫内をのぞくと、中は空っぽである。
当たり前である。
さっき取り出して、階段に置いたのだ。
あれ、どこに置いたっけ?
リビングルームをぐるりと見渡しても見当たらない。
大変だ!カップの神隠しだ!
カップの行方が気になり、片付け作業は一時中断、カップの捜索作業が始まる。しばらくの間、バタバタとリビングルームを駆けずり回る。
ようやく廊下の階段に探しものを見つけたのは捜索開始からおよそ10分後である。自分の記憶力が怖くなった。
さっきの10秒ぐらい、僕はただただ電子レンジを愛撫していたのだ。