線香の匂い
明け方、早くに目が覚めて、眠れずにふとんの上でまどろんでいると、突然、線香のような香りが漂って来た。窓は開けていたが、2階だし、近所の家も近くない。うちも仏壇などはないから、線香を焚くこともない。
もしかして何か霊的なものか?
そんな考えがよぎる。
たちまち匂いは消えたが、しばらくすると、またその匂いが漂ってくる。「まただ」と思って、匂いに集中していると、またしばらくして匂いは消えた。
あれは何だったんだろう?
先祖の霊とか、そういうやつ?
それとも何か悪いことの前兆?
もしくは、ただの気のせい?
できれば気のせいであって欲しい。
今日はこのことが気になって仕方なかった。朝の通勤時も、会社の昼休憩も、ずっとスマホでこの現象について調べていた。ネットで検索してみると、同じ体験をしてる人が結構いた。死の前兆だとか、周りに悪いことが起きるとか、守護霊だとか、先祖の霊が挨拶に来たとか、色々な憶測があった。
中には実際に線香の匂いを感じたあと、身近な人が死んだという体験談などもあり、調べるにつれ、不安を煽られた。結局、不安になるだけなって何も分からなった。
自分の身に災難がふりかかるのだろうか?
それとも身内に何か不幸があるのだろうか?
一日中、ネガティブな想像が頭をよぎった。
仕事からの帰り道、最寄り駅から家までの道のりも、「操作を誤った車が自分に向かって突っこんで来るかもしれない」などと思い、歩きながらやたらとすれ違う車に注意した。
疲れて帰宅するやいなや、リビングにいた母親に
「みんな元気だよね?」と尋ねる。
念のために、家族の安否を確認しておきかった。
母は「元気だけど、急にどうしたの?」と言うので、今朝のことを話した。急に線香のような匂いがして、不吉な予感を感じたこと。一日中、悪い予感がしてならなかったこと。
すると母が、ああと言った。
「昨日、部屋に消臭剤を置いたんだよ。墨の香りのやつ。部屋がニンニク臭ったから」
え?
たしかに、おとといの夜、僕はニンニク増し増しのラーメンを食べて帰宅した。その翌日、母はずっと僕の部屋がクサイと言っていた。あまりにも臭かったのか、母は僕の知らない間に部屋に消臭剤を設置したらしかった。
急いで自分の部屋に行くと、たしかに棚の上の消臭剤があった。全然、気が付かなかった。鼻を近づけると、驚いた。
あ、今朝の匂い。
散々心配した今朝の出来事は、心霊体験でも何でもない。ただ息子の部屋のニンニク臭対策で母が設置した消臭剤の香りが、そよ風に舞っていただけだった。