ナンプレおじさん
先日、彼女と香川旅行に行った。
あるお寺を訪れた時のことだ。
寺と言えば「御朱印」である。
彼女は御朱印集めが趣味だ。
「御朱印がほしい」と言うので、納経所に立ち寄った。
小さな小屋のような納経所だった。
横開きの扉をガラガラと開けると、作務衣を来たスタッフのおじさんが手元で何かを書き書きしていた。記帳か何かの作業だろうと思ったが、僕らが中に入るや否や、本をパタンと閉じた。
チラッと見ると本の表紙には大きく「ナンプレ」と書かれている。
いや、ナンプレかい。
黙々と社務仕事をしているのかと思ったらナンプレだった。
おそらく暇だったのだろう。しかし、納経所とナンプレではなんだかイメージが違う。暇をつぶすにしても納経所なら、せめて「写経」ぐらいであってほしい。表紙にカラフルな色でデカデカと「ナンプレ」と謳われたその本は完全に作業机の上で浮いていた。
おじさんは黙ったまま、ナンプレ本を脇に寄せた。
カウンターに掲示された御朱印サンプルを見ると、どうやら何種類かタイプがあるようだ。彼女はどれにしようかと品定めを始める。おじさんはカウンター越しに、品定めする彼女の様子を黙って見ているが、心なしかその表情は厳しかった。僕らが入ってきて、ナンプレが中断したことに関係あるのかわからないが、ちょっと怖い。
彼女は御朱印選びに時間がかかっていた。なかなか決定打がないようで、カウンター越しに何か尋ねていたが、おじさんの表情はめんどくさそうに見えた。やはりナンプレが原因なのだろうか。
彼女は説明を聞くと、また御朱印サンプルとのにらめっこに戻る。カウンター越しの主(あるじ)は依然として険しい表情をたたえたまま、黙って僕らの目の前に鎮座している。
僕は心で彼女に呼びかけた。
早く決めてくれ、、、
おじさんの圧を感じる。カウンター越しからの圧がすごい。漫画だったら、間違いなくおじさんの背後には「ゴゴゴゴ」と擬音語が入っている。
ナンプレをやりたくてウズウズしているんだ、きっと。
もしかしたら答えをひらめきかけた瞬間に僕らがタイミング悪く入って来たのかもしれない。早めの退散が望まれた。
早く決めて、、、
「じゃあ、これください」
ようやく心が決まったようで、彼女は御朱印帳をカウンターの向こうに差し出す。僕はホッと一息つく。おじさんは表情を何一つ変えず、御朱印帳を受け取ると、真っ白なページを開いて、そこに寺印をギュッとひとつ押す。それから筆を握り、筆先を硯の墨汁にすこし浸すと、途端、流れるような筆捌きで御朱印帳にササッと字を書きつけて行く。
おおっ!
力強い字が筆先から軽やかに紡ぎ出されていく。
見ていて気持ち良い。
何か憑依でもしたのだろうか。
本当にこの人はさっきまでナンプレをしていた人なのだろうか。
真っ白なページが次第に御朱印然としてくる。さっきまでの緊迫感も忘れて、目の前のパフォーマンスに釘付けになる。
御朱印が完成すると、乾かすための紙をページに挟んでもらい、御朱印帳が返却される。彼女は御朱印帳を受け取ると、お礼を言って、お金を払う。
おじさんは表情は変えぬままだったが、最後に「*御影(おみえ)もあるので、良ければどうぞ」と、カウンターにある無料の御影のことを教えてくれた。最後の最後ではじめてしゃべったので驚いた。
*御影‥‥お寺のご本尊様が描かれたお札
彼女はカウンターから一枚、御影をとってお礼を言うと、我々は納経所をあとにした。
納経所を出ると、ふと考えた。
おじさんは早速、ナンプレの続きを再開しているんだろうか?
僕らが納経所をあとにした途端、「やれやれ、やっとナンプレができるわ」とか思いながら、すぐさまナンプレ本を開いているのだろうか?
いや、でも、それもなんか嫌だな、、、
もしそうだったら、まるでナンプレの片手間に書かれた御朱印みたいじゃないか、、、
そんなことを思った。
それから彼女に尋ねてみた。
「おじさん、ナンプレしてたの気付いた?」
「え、そうなの?」
「おれらが納経所に入って行った時、ナンプレやってたよ」
「え、全然気付かなかった。御朱印しか見てなくて」
彼女は御朱印に夢中でおじさんのナンプレどころではなかったらしい。
「そっか」
どうやら、おじさんを意識していたのは僕だけだったようだ。
、、、、
ナンプレおじさん。
今日もあの納経所でナンプレをやっているのだろうか。