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パーフェクトデイズは、ヴェンダースの似て非なるもの。
※本文はネタバレ要素含みます。
僕はヴィム・ヴェンダース監督の映画、「パリ、テキサス」が何よりも大好きな映画好きです。20歳くらいの時に観てから、いろんな映画を観てきた今も、ずっと好き。
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彼の「ベルリン天使の詩」、「都会のアリス」なども好きですが、パリ、テキサスのストーリーが大好きで今でもたまに見返します。
主人公の中にある感情がまるで自分のことのように刺さり、見るたびに最後、涙がじわりと滲みます。この話のあらすじは本題に外れるのでここまでにします。
原作はサム・シェパード、旅ものの短編集「モーテルクロニクルズ」が面白かった記憶があり、物語はジャック・ケルアックの「路上」に似た雰囲気だったような、しかも俳優さんです。
映像監督はロビー・ミューラー、彼の映像は、青みがかって冷たい雰囲気があり、そこにヴィヴィッドな色彩が加わると鮮烈な印象を生み、素晴らしい印象を残します。ヴェンダース映画の半身とも言える存在。そのことは映像が彼では無くなってから気付きました。
音楽はライ・クーダー、ひとりぼっちのスライドギターが切なく、暗くギランギラン付き添います。でも、なぜライ・クーダーがこの映画で持て囃されたのか、僕には未だに謎。
そして何より女優のナスターシャ・キンスキーの憂いを含む美しさ、彼女の8ミリの映像…、駄目だ、話が終わらん。
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未だに素敵です。
ただ、今まで出会ったいろんな人にこの映画を薦めてきましたが、面白いね、と言われたことは未だにありません(T_T)。雑誌のランキングでは高い位置に来るのに、不思議。どんな人が好きで観てるんだろう(たぶん、太宰治の人間失格とか倒錯好きの自己肯定感のない人だろうと勝手に思ってますが(-_-;))。
で、ようやく本題。
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なんて、簡単じゃないよ(T_T)。
映画館で観て面白かったヴェンダースの「パーフェクトデイズ」、Amazonプライムで観られるので、もう一度見た感想と思ったことを書きます。
まず、この映画の良さは、役所広司さんが演じる寡黙な謎のおじさん(平山)の足るを知るような(仏教で言う貪瞋癡(とんじんち)を避けるような)生き方、その淡々とした日常に起こるさざ波のような出来事と僕らの日常との類似性と親近感、公共トイレという特別な場所を通して現れる、人と人の間の壁の存在、あるいは温かなつながり。それと、なんといっても背景のカセットテープの音楽たちの素晴らしさ。
音楽は、話をするときりがないくらいの情報量です。
アニマルズのHouse of Risingsunからスタートし、オーティス・レディング、パティ・スミス、ヴェルヴェッツ、ストーンズ、ヴァン・モリソン、ルー・リード、最後のニーナ・シモンなど、どこかで聴いた、懐かしの歌ばかり(全曲捨て曲無し)。
他にも日本の金延幸子さんの青い魚(今まで知らなかったけれど、透明感のある素敵な歌、はっぴいえんどの雰囲気あり。)、石川さゆりさんが劇中にあがた森魚さんのギター伴奏で歌う朝日楼(朝日のあたる家)、これは映画の最初の歌、House of Risingsunと同じ曲ですが、歌詞にハッとさせられます。
こうなると元歌が気になり、後日、浅川マキさんの歌にたどり着き、中古レコードを買いました。
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ジャケットが美しい。
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当時のポスターも素敵です。
浅川マキさん、実際に聴くと切ない歌が多くて暗くなります。若いときは演歌だと思って聴かなかったであろう歌も、ゴーマル(50)の今はその淋しげな歌やギターの生音、サックスの伴奏がズ〜ンと心に染み込みます。
そういえば、映画のチラシ(今風に言うとフライヤー、…何でもカッコ良い名前にして。なんか上っ面な感じ。)に、「こんなふうに生きていけたなら」なんて書いてあったのは、浅川マキの他のアルバム、「裏窓」の一曲、「こんなふうに過ぎて行くのなら」のモジリじゃないか、とレコードの帯を見て思いました。
と、音楽のことばかり書いてしまってますが、この映画、やはり2度見ても面白かったのですが、我が家の小さなテレビで、もう一度見ていると、映画館で感じなかった、なにか「違和」を感じる自分がいました。
なんでだろうと考えてみたのですが、それは、この映画、昔のヴェンダースが大好きな人達が集まって、今のヴェンダースの名前を使って(騙って)作った疑似ヴェンダース映画なのではないか、と疑ってしまったということ。
街の中で舞う意味不明の男、街の撮り方、橋のシーン、肉親との感情的なもつれと別れなど、既視感と取って付けた感じがあり、以前の作品へのオマージュに見えてしまって。
そこに、ヴェンダースと同じく、ヘンテコな孤独な男を描くのが得意なポール・オースター(原作)の映画、「スモーク」のような描写、ヴェンダースと同世代の都会のアンダーグラウンドカルチャーを嗜好する人たち(寺山修司など)に愛された浅川マキの歌、ヴェンダースが尊敬する小津安二郎の日常を丁寧に繰り返す表現など、ヴェンダース的な何かがこれでもかと厚く塗り込められ、本物に限りなく近い「けれど、違う物」に思えてしまったんです。
でも、それはすべてわかったふうな目で見て、勘ぐりを入れる、歳をとった、知ったかぶりの僕の卑しい目線かもしれません。
すべてが今のヴェンダースが望む通りなんだとしたら、それは「紛れもない本物」なんでしょうから。
まだ、劇中の鍵となる幸田文、フォークナーやパトリシア・ハイスミスの本(ヴィクターの話が気になって)、恐れながら、どれも未読なので、まずそれを読んでみようと思っています。
それが映画や物語の面白いところ、どこまでも何かにつながっていく。
…と、いろいろ書きましたが、このような滋味深い映画をヴィム・ヴェンダースの名前抜きに作れたり、初見で観る人がいれば、日本の映画にも素敵な未来があるのだろうけど、ヴェンダースの名前を冠さざるを得なかったところにこの作品の苦味があるように思いました。
以上、甥っ子の名前がニコ、平山が毎日飲んでいたのが現場の人達が好きそうなBOSS、にクスッ(^^)とした禅ヒッピーの個人的な感想でした。
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(あ、交通安全の刺繍が見えてる、お恥ずかしい(>ω<)
ではまた!