【記者日記】虐待の痛み超え、本当の自分に出会う
かわすみかずみ
厚生労働省の調査によれば、2016年の児童虐待による死者数は77人だ。5日に1人が児童虐待で亡くなる日本で、生き残った虐待被害者にはなんの支援も補償もない。そういう中で、虐待被害者でありながら、自分で事業を興し、多くの苦しむ人々と繋がって生きようとする男性がいる。男性のこれまでとこれからを取材した。
大阪市旭区にある「日本珈琲焙煎研究所」は、カウンター5席、ボックス席2つの小さなカフェだ。2階には5台の焙煎機が並び、3時間3千900円で個人焙煎が楽しめる。初心者でも店主が一から教えてくれるので、初めてでも安心して利用できる。
店主に話を聞くと、焙煎ブームにより、最近は女性の利用者が増えているという。以前は土日の利用者が多かったが、平日の利用も多い。 筆者が訪ねた10月19日も、女性が1名、男性2名が焙煎を行っていた。室内には豆の焼ける香りが立ち込め、あちこちでテイスティングをしては記録を取る姿が見られた。
平田泰之さん(36)もこの日、同店で焙煎を行っていた。平田さんは「にじのわコーヒー&ビアスタンド」の代表で、自分で焙煎した豆の委託販売や通販を行う。また、各地で行われるイベントやマルシェに参加し、自分で自家焙煎コーヒーを淹れ、販売もしている。この日は、11月1~4日に宝塚の手塚治虫記念館周辺で行われる「ジャパンコーヒーフェスティバル」に合わせて、インドの豆を中煎りにするという。今回のイベントは、手塚治虫のマンガにちなんだコーヒーを淹れるという企画。平田さんは「ブラック・ジャック」を担当する。「ブラック・ジャック」の話から命の躍動やダイナミズムをイメージし、インドのバイオダイナミックという特殊な精製方法の豆を選んだ。焙煎機の中の釜の温度を200℃まで上げる間に、豆の「ハンドピック」を行う。「ハンドピック」とは、割れや欠けなどがある豆を取り除く作業だ。
このひと手間で、雑味の少ないまろやかな味になるという。温度が上がったら生豆を焙煎機に入れて煎る。160℃近くになると「ハゼ」が起こる。「ハゼ」とは豆がパチパチと音を立てて跳ねる音のこと。平田さんはこの音を聞くと楽しくなるという。
虐待、障がいの苦しみ
平田さんはこどものときから、両親からの心無い言葉による虐待を受けてきた。平田さんはそれを「ステルス虐待」と呼ぶ。通常、虐待は身体的虐待、性的虐待など4種類に分けられているが、平田さんの両親は一見すると虐待とまで言い切れない、「バカ」「アホ」といった直接的な言葉を伴わない言い方で、著しく自尊心を傷つけてきたという。例えば、父親が平田さんを上から支配する言動を続け、母親はいかにこの家が素晴らしいかと洗脳する言動を取り続けた。平田さんは一人っ子で逃げ場はなく、さらには孤軍奮闘することを美徳として両親に教え込まれ(洗脳され)てきたため周囲に助けを求められず、ずっと抑うつ的に生きざるを得なかった。
関西大学を卒業する直前、2011年2月から、自分には発達障害があるかもしれないと考え始めていたが、就職後に自ら精神科に行き、自閉症スペクトラム障害の診断を受けた。母親は診断の後、「差別されたらどうするの!?」とヒステリックに叫んだそうだ。虐待の後遺症に加え、度重なる職場でのいじめ、就労支援事業所での支援員によるハラスメントに傷つき、行き場をなくしかけた平田さんに転機が訪れた。2020年1月に、2つ目の支援事業所で外部講師として現れたAさんとの出会いだった。
出会いが人生を変える
Aさんもまた虐待被害者であったが、コーヒーの面白さを伝え続け、多くの人と繋がっていた。Aさんの生き生きとした姿を見て、「自分も(コーヒーを)やりたい」と平田さんも次第に思うようになった。3年前から「日本珈琲焙煎研究所」で焙煎を教わり、Aさんの弟子のBさんの店で間借りカフェも経験した。2021年に入り、徐々にイベントにも、自らの障害や虐待環境を明かして出るようになり、コーヒーを販売するうちに、常連客もついてきた。
その間も様々な職を転々とするが、人間関係やブラックな環境に悩まされ続けた。収入の確保に苦労する中、2023年1月、父親に説得される形で、父親の会社に入り、IT関係の部門を担当することになった。皮肉にもそのことで収入が安定。
2020年8月、何万円もするコーヒーミル(コーヒー豆を挽く機械)を買ったとき、母親が「こんな汚いものを置いて!イヒヒヒヒ!」と嘲笑ったことに後日激怒した平田さんは、2021年5月からようやく悲願だった1人暮らしを始める。そのことで何より心が軽くなり、睡眠など生活の質も良くなったという。
イベントで、母親の言葉を思い出して苦しくなることがその後何度もあったが、周囲の助けもあり、1年程前からはそれも少なくなった。
「にじのわ」に込められた思い
平田さんの名刺には、「コーヒー·クラフトビールを通して平和を 『可能性』と『多様性』が目覚める場所」と書かれている。平田さん自身がコーヒーの仲間に障害や虐待の被害を理解してもらい、居場所を得たように、多くの苦しみの中にある人々も、居場所を得られたらと願って書かれたものだ。「にじのわ」とは、多くの人と繋がり可能性や希望が輝いていく様をイメージした名前だ。販売用の袋には、友人がデザインしてくれたにじのわのマークが記される。ゆくゆくは父親の会社を辞めて自立したいというのが、平田さんの願いだ。
少し前に、父親に「俺、もう長くは勤めるつもりはないから。コーヒーの事業が広がってきてるんで」と告げた。自家焙煎のコーヒーを使ったビールの生産にも取り組みたいという平田さん。虐待に苦しみ、死を考えた日々もあり、今も希死念慮が湧くこともある。だが、平田さんはこう話す。
「2020年以降、辛い時でも、『自分にはコーヒーとその仲間がある』と思って踏ん張ってこれました。だから僕はコーヒーとの出会いがなければ、とっくの昔に自殺していたと思います。焙煎を3年やって気づいたことがありました。僕は本当は、人が好きだったんだなって」。
違う自分を生きてきた人たちが本当の自分に出会えるような手伝いができればと、平田さんはこれからも、多くの場所でコーヒーの面白さと、それを通した人の可能性や希望を伝えていく。