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始まりはバーストラウマから⁠。⁠*゚⁠+Noツー

前回のブログ↓
やっと貼り付け出来たー♪嬉しい泰子です♡

前回は、私が胎児ちゃん赤ちゃんだった頃に、母から不安や緊張感を受け取り、その事が原因でバーストラウマを抱え、娘を妊娠した時にこの事がフラッシュバックしてパニック障害になったんじゃなかろうかのお話し。おー!!略すのプロじゃない?と自画自賛。

今回は、人生2度目のパニック障害の話です。

いつかの虹

娘と2歳下の息子がいる。幼い頃から仲の良い兄弟で、それが私の密かな自慢でもあった。思春期に入った頃、弟の話を聞いていた姉が「その友達おかしいよ!」と非難し始めた。確かに…と思っていた私だが、とりあえず「言いすぎだよ。」と止めに入ったのが、ことの発端だった。

弟は姉をとても大切にしていた。
姉がハブられた時、かなり心を痛め、相手を無視するようになった。その事を姉の方は面白く思っていなかったらしく、ここぞとばかりにその頃の文句を弟にぶつけてきた。

私はまたまた仲裁に入った。
その事がキッカケで2人は、話さなくなってしまった。あれから7年(TдT)今では挨拶くらいはする。そのくらいである(TдT)家族は仲良くあるべきだ!というのは、今は思っていないけど、かなり辛い気持ちでいる。今でも一人暮らししている娘が帰ってくると、嬉しいと憂鬱が行ったり来たりしている。

いつかのハロ

あの事件後、(←私にとっては一大事だった)
言葉にするのが悲し過ぎて人に言えなかった。
朝起きる度に、溜め息が出ていた。
内観しても内観しても、堂々巡り。

そして、人生2度目のパニック障害になった。もう7年も経つんだね。丁度その頃、更年期の入り口でバタバタしていたから、最初は認めたくなくて、更年期だと言っていた。パニック障害も私の一部。そんな自分を否定する事は悲しい事だよね。やっと受け入れられるようになってきた。

「そうです。私はパニック障害です✌」
とはいえ、滅多に口には出さないが…。

たまに「パニック障害でも元気だよね」と言ってくる人がいるけど、それ偏見です。むしろ無理をする傾向があるので、人前でこそ元気な時がある。加えて、繊細な人が多いい気がしている。場所や空気感に敏感ってのも特徴かも。

いつかの虹

52歳の誕生日、土用の日、ライオンズゲート、お盆と続き、色々と感情が搖さぶられる事が多かった。

7年前に起きたこの事件。
その当時は私のせいだと強く強く自己嫌悪に浸っていた。。その当時?いやいや…今もだな。
そして、結局ここに行き着くのだ。
✖私は産まれて来なければ良かった(泣)
✖私は邪魔者だ(泣) 
この自己否定はかなり強く心に刻まれている。

パニック発作を繰り返していく内に、また発作が起きたらどうしようと不安になり、フラッシュバックを起こし、発作がおきる。1番最初に起きたバーストラウマからのフラッシュバックが、ドンドン書き換えられ、いつの間にか「またなったらどうしよう…」に怯えるようになっていた。

同じなのには、不安な゙気持ち。

いつかの虹

私は今、引きこもっている。
外出は、週2回の買い出しのみ。
常に誰かと動いている。
5年くらい発作は出ていない。
私は今、かごの中の鳥。
いつの間にか扉がなくなっていた。
足りないのは、勇気だけ。あはっ…(⁠◔⁠‿⁠◔⁠)

バーストラウマ
私の根底には、これがある。でもこのトラウマさえも邪魔者扱いはしたくない。邪魔にされる悲しみ辛さは充分分かっているから。癒したいし、癒されたい(⁠◡⁠ ⁠ω⁠ ⁠◡⁠)

もし、本当に邪魔者だったとしても、邪魔者だったら何なのさー♪お尻ペンペンぷっぷくぷ〜っ♪て言ってやるんだ( T_T)\(^-^ )

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