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ネタバレありの絵本紹介『おおきな木』より『ぼくをさがしに』が好きなはなし
みんなのフォトギャラリーより中目黒土産店様からイラストをお借りしました。ありがとうございます。「一切れきったホールケーキ」と「その一切れのケーキ」で探して、見つけたときはこれだと思いました。が、私の技術ではイラストのリサイズ的な、なにかはできませんでしたので、女性の顔が見切れている…。逆に記事の内容にマッチしてしまったような。『ぼくを探しに』に出てくる登場人物? も、性別はおろか、なんの生き物なのだろうか…。と思いますからね。イラストは『ぼくを探しに』の登場人物に似ているのを選びました。どうでもいい裏事情ですね。
では、自己紹介をば。
絵本が好きな方も、そうでない方も、これから読まれる方も、読まれた方も、「シェル・シルヴァスタイン」のファン中のファンの方も、はじめまして。
そうでなく、私をご存じの方は、またお会いでき光栄です。
喋々(ちょうちょう)ともうします。
どうか、よろしくお願いいたします。
さて、今回は読書感想文です。
と、いいましても。普通にしても面白くないので。
作者が同じ絵本を3冊いっぺんに、ご紹介します。
これからの読書感想文の記事は、だいたいが個人的に気になっている本の考察をまじえて、おはなしできたらなと思っています。
まあ、私が普通に本を読むわけがない。ははははは。
あいかわらず、考察という名の妄想ですが、しばしおつきあいください。
「シェル・シルヴァスタイン」三作品紹介。
紹介するのは3つの絵本。
著者は海外の方で『シェル・シルヴァスタイン』さんです。
まあ、木だったり、欠けた円だったり、かけらだったりする絵本ですね。
はい。ちゃんとおはなしします。
まずは、本の紹介から。
「おおきな木」
シェル・シルヴァスタイン
村上春樹訳
あすなろ書房
「ぼくを探しに」
シルヴァスタイン作
倉橋由美子訳
講談社
「続 ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い」
シェル・シルヴァスタイン
倉橋由美子訳
講談社
「おおきな木」に関しては、訳者が違うのですが。
まあ、村上春樹さんでも問題ないかなと思いまして、このまますすめさせていただきます。
正直にいうと、あまり「おおきな木」は好きじゃなくて…。
ネタバレになるので、くわしくは「おおきな木」でご紹介させていただきます。
では、一冊ずつ紹介します。
あ、ネタバレあるのでクッションいれますね。
ここからさきはネタバレがありますので、お読みになる方はご注意ください。
人
に
よ
っ
て
は
、
思
い
出
深
い
作
品
で
あ
っ
た
と
し
て
も
、
他
人
か
ら
し
て
み
れ
ば
、
そ
う
で
な
い
こ
と
多
い
と
思
い
ま
す
。
さ
て
、
お
お
き
な
木
を
好
き
じ
ゃ
な
い
と
言
っ
た
喋
々
は
挽
回
で
き
る
の
か
?
た
ぶ
ん
で
き
な
い
。
縦書きにも慣れてきました。
おつきあいいただき、ありがとうございます。
「おおきな木」
有名。
その一言ですませてしまってもいいくらいに、有名な絵本です。
内容としては「木を使い倒す人間」という悪い見方をしていたのですが、このおはなしは「母と子」の関係ですね。
いわば、母親とは子供のためであるならば、なんでも与えてしまうのだという「無償の愛」「自己犠牲」などがみえる絵本でした。
この絵本が好きな方、男性が多い気がするのですが、気のせいでしょうか。
私の交友関係がそんなに広くないこともあり、女性で好きな方にあったことがないんですよね。おそらく偏見。よくない。
本好きで女性の有名人でいうと「芦田愛菜」さんがあげられますが、「まなの本棚」にこの絵本はなかった気がするんですよね。
どうだったかなー。
ちょっと少年がね、遠慮がないところが、私の気にさわってしまったのかもしれないです。
少年としては、人生がうまくいかなくなったから、親に頼るというような。
子どものあり方としては、正しいのでしょうね。
木が長生きすぎて、さいごまで頼りますけれども。
ただ、この絵本を人間の母親と子供に見立てると、軋轢が生じることは間違いありません。
となると、どういうことか。
血のつながりのない親子とみるのが適切なのか。
それとも、年の離れた恋人同士か。
難しいところではありますが、おおよその人が「木」=「母親」とみると考えられます。
ただ、子供が読むと「木がかわいそう」というふうになるかもしれませんね。奪うだけ奪うようにみえてしまいそうだ。
私は、かなりの大人向けの絵本であり、大人にならなければわかりにくいんじゃないかと思いました。
読むとしたら、高校生でいいかもしれないなあ。
子どものときに読む意味を見出せないんですよね。
こころに残るけど、あれどういうことだったんだろうなあという、もやもや感があります。
「ぼくを探しに」
『シルヴァスタインの作品? ああ、絵本は全部読んだよ』という人がいたとき、『「おおきな木」と「ぼくを探しに」だったら、どっちが好き?』と聞いたら『「ぼくを探しに」が好きかなー』という人を無条件に同士だと思ってしましそうになるくらい、好きです。
どういうはなしかというと「欠けている円がかけらを探しにいき、かけらをみつけ、かけらを手放し、欠けたまま生きていく」というはなしです。
ちょっとわかりにくいと思いますので、私の考えがはいった補足説明を入れるなら。
この絵本は、ずーっと左から右に「欠けた円」が歩いていくようにみえる感じで、はなしが進みます。
で、「欠けた円」が、なんで歩いているかと言うと「かけら」を探すためなんですね。
自分は欠けた部分がある。欠けた部分がなくなってしまうようなかけらを見つければ、きっと『よくなる』。
で、いろいろありまして。最終的に「かけら」をみつけます。
すると、「欠けた円」が、今まで大切だとまったく思っていなかったことが、とたんに大切に見えはじめるのです。
そして、「欠けた円」は「かけら」を手放し『欠けたまま』の自分を受け入れるのでした。
そんな、おはなし。
この『欠けたまま』というのが、私はとても好きなのです。
いや、大好き。
人によっては現状維持や現状に満足したともとらえられるのでしょうし。
人と人との出会いによって、悪く変わってしまったから、一人で生きていこうともとらえられるのかもしれないですね。
まあ、人によりけり。
たぶん『欠けたまま』生きていくことを認めるというのは、かなり難しい気がします。
なにかを受け入れるってことは、ある意味では自分の非を認めるのと同じではないかってことですね。
「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い」
まさか続くなんて思わないでしょう。
いや、本当に。
続くのかーと思いました。
とりあえず諸事情により、日本語版の前に全編英語のを読んだのですが。
かけらが主人公で、ビッグ・オーと会って、考え方が変わるはなしかなーと、適当に思っていました。
で、日本語版を読むと、まあまあそんな感じでした。
これも考え方が変わるはなし。『続』である。
だいたいのあらすじは「かけら」が「欠けた円」を探すおはなしですね。
ぴったりとあてはまる「欠けた円」に出会えれば『きっとよくなる』と「かけら」は思っています。
まあ、一度は「欠けた円」といっしょになる「かけら」なのですが。
「かけら」のせいで、「欠けた円」が別れることになり。
その後「かけら」は「ビッグ・オー」に会います。
「ビッグ・オー」というのは「欠けてない円」、要は「円」です。まんまるの。
「かけら」は「ビッグ・オー」に『いっしょにいたい』のようなことを言いますが「ビッグ・オー」は『いや、べつにどうでもいいかな』というふうに去っていきます。その際に「ビッグ・オー」は「かけら」に『やったことないことをやってみたら?』みたいなことを言うのです。
これ、ラストがものすごく好きなんですよね。
なので、ラストは言いません。ネタバレと言っておきながら、この仕打ち。
個人的には『続』ではないなと思いました。
「かけら」が主人公のまったく別のおはなしでしたね。
英語の原文も、続編とは定義していないみたいです。
「シェル・シルヴァスタイン」三作品を読んだ私なりの感想『人生とはなにか』
たぶん、なんですけど。
シェル・シルヴァスタインは『人生』を考えるきっかけの絵本をつくりたかったのではないかと思いました。
もちろん私の考えなので、間違っているかもしれませんが。
「おおきな木」では、誰かに尽くすこと、尽くされること。
「ぼくを探しに」では、人は完璧でなくとも、一人であっても幸せに生きられること。
「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い」では、誰かを愛する難しさや、変わることの大切さを。
あらわしているのではないかなーと。
相変わらず、適当なことを言っている気がしないでもないですね。
きっと、人によって受け取り方は変わると思いますが、すべて『人生』のようなものを感じるんですよね。
『時間』を感じられるんですよ。
「おおきな木」では『少年』は『老人』になります。
「ぼくを探しに」では『欠けた円』は変化をへて、元の状態に戻ります。
「続ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い」では『かけら』が、まあ、変化します。すごくいいラストなので、言えない。言いたくない。
『変わる』ことは人によっていろいろ。
『人生』とは『時間』の経過であり『変わる』ことである。
そう暗にいっている感じがしました。
でも、どんな『人生』であったとしても。
自分で選んだ『変化』でありたい。
そういった信念があるのかもしれませんね。
少し、たちどまって考える必要がある。
そう教えていただいた気がいたします。
人によって感じ方は異なるのでしょうけどね。
私はそんな気がした。
結論としては『欠けたまま生きても幸せになれる』というのが、わかっただけでも、よしである。
今回はこのくらいで。
ご縁がありましたら、また、おはなしに、おつきあいください。