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薬物依存症当事者が見た映画「あんのこと」
映画「あんのこと」を見ました。薬物依存症当事者の視点から、本作品がどう映ったのかを少し書いてみます。
【あらすじ】
薬物依存や貧困、家庭の問題を抱える21歳の香川杏が、刑事・多々羅との出会いをきっかけに更生への道を歩み始める物語。自助グループや福祉施設で新しい人生を模索しますが、支援者の裏切りや家族の束縛により、再び孤立を感じます。杏は困難に直面しながらも希望を見出そうと奮闘します。
■良かったところ
ポン吉は、本作が薬物依存症を扱っていることは知っていましたが、なるべくそれ以外の予備情報は入れずに作品を見ました。
見終わったとき心にズシンとくる重たいストーリーでしたが、一部の薬物依存症者のリアルな実態がよく描けていると思いました。ポン吉自身は一般家庭で育ったアディクトですが、ポン中仲間には幼い頃親に虐待されたり、家庭環境に恵まれずに育った話はよく耳にします。程度の差こそあっても、映画で描かれたような毒親の家庭で覚醒剤に手を出した人の話は珍しくないのです。
覚醒剤の注射の仕方、スリップ(再使用)する理由もリアルでした。
(以下、ネタバレを含みます)
女性用シェルターの隣人に、いきなり幼い子どもの面倒をまかされるシーンは、ややリアリティに欠ける展開かなとは思いました。ただ、自助グループにも介護施設にも学校にも通えなくなった杏が、この世の中でただ一人守るべき存在としてあの子のことを大切に思っていたのだなということは、画面越しによく伝わってきました。杏にとって、たった一つ社会に開かれた窓だった子どもが、母親に勝手に児童相談所に預けられたことで、ついに杏は社会との縁が切れてしまったのだなと、胸が苦しくなりました。
■残念だったところ
最後に、少しだけ本作の残念だったところを。
作品内に登場する自助グループ「サルベージ赤羽」にかんしては、当事者の視点からみると、色々思うところがあります。すでにご覧になった方には野暮なツッコミをするなと怒られるかもしれませんが、ストーリーの根幹にかかわる部分でもあるので、あえて指摘しておきます。
まず「自助グループ」とは、その名の通り原則として当事者同士が運営・参加する団体であり、当事者以外の人がリーダーシップをとることはありません。ちなみに現実には、自助グループではなく「回復施設」という名称で当事者以外の人が運営する施設も存在しますが、依存症の回復施設の場合は、それでも現場スタッフは原則として依存症から回復した当事者であるケースが多いです。したがって、依存症の部外者である多々羅が自助グループの責任者であり、かつ現場スタッフを務めているという設定には、少々違和感を覚えました。
次に、「自助グループが現役警察官によって運営されている」という設定も、かなり現実から乖離しています。とくに薬物依存症の場合は、法律に抵触する行為を行っている人も多いため、自助グループでは司法から一定の距離を取るのが原則です。それが警察官、しかも現役警察官であれば、立場上違法行為を容認できませんから、「(違法行為であっても)安心して正直に身の上を打ち明けられる」という自助グループの基本方針と相反するスタンスということになります。ここもリアリティに欠ける設定だと言わざるを得ません。
また、自助グループの運営者と利用者間でセクハラが起こったという事例も、ポン吉はほぼ聞いたことがありません。12ステップの自助グループの場合、参加者全員がアディクション当事者という前提ですので、そもそも上下関係が存在しません。クリーンタイムの長短の差はあれど、全員がフラットな立場です。ミーティングのセクレタリー(司会)はいますが、それは奉仕を任されたしもべであって、支配しません。もちろん、アディクトも人間ですから、参加者間でパワハラやセクハラが起こる可能性はありますが、「警察官と前科者」のような上下関係はなく、問題があったら別の自助グループにいけばよいだけの話です。したがって、映画で描かれたような運営者によるハラスメントは存在しようがないのです。
その上で、本作で描かれたような性的な話ではなく、お金にまつわる問題であれば、依存症の中間施設でも実際に発生していることは書き添えておきます。具体的には、いわゆる皆さんよくご存じの薬物の中間施設のことですが、依存症者にとって重要なシェルターの役割を果たしている半面、「貧困ビジネス」ではないかという指摘があります。これはなかなか根深い問題なので、別の機会に改めてきちんと書いておきたいと思います。