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その鼻へし折ってやろうか

「最近あいつテングになってない?そろそろ鼻を折らないとね」

そんな怖い会話を聞いたことがあるだろうか。

翻訳すると
「最近あいつ調子にのってない?注意して大人しくさせないとね」
というニュアンスになる。


うん。

テング。

天狗だね。

そうそう。

あの鼻の長い高下駄を履いて空を飛んてる顔の赤いアイツ。


いや まって。

そんな例え話になるぐらいポピュラーなヤツなの?

昔はいっぱいいたの?

「犬も歩けば棒にあたる」
「猫に小判」
「豚に真珠」
「天狗の鼻を折る」


ほらおかしいよね。

天狗だけ異形だ。

その辺に普通に生息していたんだろうか。

「母上、天狗が欲しゅうございます」

なんておねだりしていたんだろうか。




すでに 何を言っているのか と思ってい人も多いと思うので少し説明すると 僕がエッセイを書くときは基本的に調べない。

それは有益で正確な情報をお届けすることが目的ではないからであり 調べたらもうユーモアを挟む余地がなくなるからでもある。
だから僕の言っている事を真に受けないようにね。
それを踏まえて読み進めて欲しい。

え?
今更そんな心配も解説も不要?

フフフ。

それは失礼した。
では本編をどうぞ。




僕はお目にかかったことはないけれどきっと天狗はお調子ものだったんだろう。

今でも「天狗になる」という言葉が残っているぐらいだから。

そして弱点は鼻。
まぁ見るからに弱点だよね。
戦いの素人の僕でも真っ先に狙うだろうね。

その鼻をへし折ると天狗は大人しくなるらしい。

そりゃ急所だからね。
僕なんかちょっと鼻をぶつけただけで戦意喪失だ。

それを折るだなんて。

やりすぎだと思う。

天狗がどんなヤツかは知らない。

でもどんな理由があろうと鼻をへし折るのはダメ。
いったいどんな大義名分があったというのか。

昔の人の倫理観はどうなってんだ。
人外なら何をしてもいいのか。

まったく。

恥をしれ!

そのつけあがった天狗のような鼻をへし折ってやろうか!


ふむ。

こうやって使うのか。


外道に対して「おまえは人ではない」とまず定義する。

人外に貶められた人は鼻をへし折られても文句は言えない。

大人しくするしかない。


鼻をへし折るというのは例え話であって この一文の肝は相手を人外の外道であると定義して 非難しても良いと正当化しているのだ。

ほんと昔のひとは怖いよね。

まさに外道。

全員天狗。


そして僕らはその子孫。

フッフッフ。

折られれば屈するしかない。

ならば折られる前に折ってやる。

さぁかかってこい!


っとあぶねぇ。

完全に天狗になっていた。

鼻がスマホにあたるかと思うぐらい伸びてた。

こりゃへし折ってあげるのも本人の為になるのかもね。


え?

ちゃんと意味を調べて正確な情報を流せって?

フフン。

名前すら偽名の僕が何をいっても誰も信用すまい。
ならば好き勝手にエッセイを繰り出すのが賢い選択さ。

エッセイストは天狗ぐらいじゃないと務まらない。
長い鼻を鍛えて折れないように鍛錬する。

今の僕なら鼻でフリック入力も余裕そうだ。

画面が皮脂でギトギトになるがそれも一興。
画面の向こう側には綺麗な文章が届いているのだから気にするな。


さぁあなたも天狗になって好き勝手に投稿しよう。

ちょっと注目されると萎縮してしまう人もいるだろう。

それはもったいない。

天狗になってひと暴れしても罰はあたらないよ。

鼻を折ろうと近寄ってくる敵天狗が現れるだろうけどね。

でもこっちが先にその鼻をへし折ってしまえばいい。


世は大天狗時代。


誰もかれもがSNSで天狗になれる時代。

折るか折られるか。

あなたならどっちを選ぶ?

もちろん折る側だよね。


僕は あなたたちが潰しあっている間に鼻を磨き上げておくとしよう。

とここまで書いて気が付いたけど天狗の正体って絶対人間だよね。

ちょうしに乗った人間のことを天狗って言ってるだけだよね。

そりゃその辺にウヨウヨと生息していたことだろう。
まさにポピュラーな生き物だったのだ。


え?

鼻が長い理由?

あーその考察についてはまた今度ね。


ではまた。




次回予告(ウソ)

「ぜんけい 天然記念物として捕獲される」

の巻き。

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