我 給与をせしめし者なり
なんだかサラリーマンって響きがダサい。
給与(月給)をもらって働く人(雇用されている人)をサラリーマンと総称する。
一昔前はサラリーマンになる事は普通であり なんの違和感もなかったと聞く。
しかし現代では個人事業主が増え サラリーマンは数を減らした。
少子化でこれからサラリーマンの数は減る一方だろう。
だから将来にはサラリーマンが貴重な人材になる事は間違いない。
でも現代では。
ひとりでも稼げる環境は誰にでも作ることが可能なのに 雇われ給与を得るに甘んじる事がネガティブな印象を与えている。
自分で稼ごうとしないのは甘え。
そう言われているように感じるのだ。
しかし、しかしだ。
誰でもひとりで稼げる程 世の中は成熟していない。
僕らサラリーマンがいないと社会は成り立たない。
え?
そんなに重要な役割ならもっと給料を上げろ?
うむ。
至極もっともな指摘である。
しかしそれは雇用主に直談判する他に解決できる方法はない。
さて そんな重要なサラリーマンだが。
名前がよくない。
このご時世に「マン(男)」と言っている点で終わっている。
保母さんが保育士に
スチュワーデスがキャビンアテンダントになったように。
今こそ改名の時。
カッコいい横文字もいいけれど〇〇士とかもいいね。
でも自分が名乗る時のことを考えるとあんまりおしゃれなのも恥ずかしいな。
そして大事な事だが「給料を頂いている」というスタンスを僕は嫌悪する。
働いた等価としてそれに見合った給料を雇い主が支払っているのだ。
ヤツらは僕らの労働力という商品を買っているに過ぎない。
だから頂いているわけではない。
せしめているのだ。
せしめるというのは等価交換ではない。
だって僕は時折サボるから。
雇い主からしたら困ったヤツだろう。
僕はそれなりの仕事で雇い主から給与をせしめているのだ。
フフフ。
そう僕こそが「給与をせしめし者」なり。
中には働きと給与が見合っていないと感じている人も多いだろう。
そんな人は給料が増えないかなぁと夢想するのではなく 少しサボって帳尻を合わせようと考える方が気楽だ。
さぁあなたも僕と一緒にサラリーマン改め「給与をせしめし者」となろうぞ。
うまく立ち回るのだ。
何をしても給料はかわらん。
でも自分を変えることはできる。
一生懸命にサボるがよい。
グッドラック。
次回予告(ウソ)
「ぜんけい サボり術の有料記事を書いて炎上する」
の巻き。