ロケットマン
今日も寝室で息子を寝かせている。
日々忙しい中、この時間が唯一の癒しかもしれない。
私の子守唄でよく眠るかわいい子。
夫はリビングで騒がしくゲームをしている。
オンラインゲームというやつらしい。
声がうるさくて子供がおきそう。
イライラする。
寝室は狭くベッドはひとつしか置けない。
そのベッドは夫の物。
私と息子はベッドの横に布団を敷いて床で寝ている。
この差はなに?
普通は子供にベッドを使わせるべきでしょ?
なのに「俺は仕事で疲れているからベッドを使う権利がある」ですって?
ほんと結婚相手を間違えたわ。
でも、私にはこの子がいる。
この子がいれば他は何もいらない。
私のかわいい子。
うるさい夫に文句のひとつでも言ってやりたいけれど 今日はもう寝てしまおうかしら。
ゲームの音がうるさくてかなわないけれど。
私は静かにあくびを噛み殺し寝ようとした。
その時、突然扉が勢いよく開き ベッドへ人間が頭から飛んできた。
男は両手を体の横にピタッとつけている。
その直立したような姿勢のままベッドへと着地した。
今、目の前で起きたことがよくわからない。
頭から飛んできたけどジャンプしたの?
気をつけの姿勢で?
なんで?
なんであたまから?
ゲームで負けた腹いせ?
それにしてもうるさい。
息子が起きちゃう。
イライラする。
ねぇなんでそんな意味のわからないことするのよ。
「それは俺がロケットマンだからだよ」
突然の聞き慣れない声に一瞬沈黙した。
ロケットマンってなによと言いかけたとき、別室からゲームの音と夫がボイスチャットで話している声が聞こえている。
え?
じゃあこのベッドに飛び込んで来たのはだれ?
5秒程思考が止まる。
私はふと息子の存在を思い出す。
息子を守らないと。
私は息子に覆いかぶさるようにして守る。
少しの沈黙。
何も言ってこない。
ゆっくりとベッドに目をやるがだれもいない。
あれ。
私疲れてるのかな。
薄暗い部屋で目を凝らす。
よく見えない。
立ち上がりベッドを確認する。
しかしベッドにはだれもいない。
照明をつけようか迷う。
やっと寝てくれた息子を起こすのも悪い。
きっと寝ぼけて幻覚を見たのだろう。
日々の疲れがこんな形で見えるものなのね。
私はそう判断して再び眠ろうとした。
それにしてもロケットマンってなんだろう。
部屋の入り口から声がした。
「ロケットマンのことはだれにも言うな」
私はパニックになり息子をおいたまま別の入り口を抜け、リビングの夫の所へ走る。
リビングに続く扉を勢いよく開け、夫に叫ぶ。
「ロケットマンがいるの!助けて!」
男はひどく驚いた様子でこちらを見ている。
「あ、あなたは誰ですか?」
「勝手に人の家でなにしてるんですか?」
夫はヘッドホンを外し、ゲームのコントローラーをテーブルに置く。
「こんな夜中に、どうやって部屋に入ったんですか?」
男の声は震えている。
私は呆然と男を凝視する。
夫じゃない。
この人はだれ?
「あ、あなた部屋番号を間違えてるんじゃないですか?ここは404号室ですよ」
男は徐々に語気を強めながら言う。
どうやら部屋を間違えていたらしい。
そんなことあり得る?
もう寝る一歩手前だったというのに。
その時にふと息子を寝室に置き去りにしてきたことを思い出した。
「たいへん!息子が!」
あなた子供まで連れてきてるんですか?
非常識な人ですね。
私はそんな声を背中に聞きながら寝室に向かおうとした。
「動かないで!」
「勝手に家の中をウロウロしないでください」
「警察を呼ぶのでそこで待っていてください」
「お子さんは僕か見てきますから」
男はそう言い残し、寝室へ向かう。
しかしすぐにリビングに戻ってきた。
ひとりで。
「子供なんていませんでしたよ?何歳ぐらいのお子さんですか?」
子供がいない?
そんなまさか。
眠っていたのに…どうしていなくなったの?
あの変な男が連れ去ったの?
それともこの男が…。
はやく子供を探しにいかないといけないのに身体が動かない。
何も考えられない。
私はダイニングの椅子に崩れるように座り込む。
「あのーそろそろ帰ってもらえませんか?警察へは通報はやめにするので」
男は今までのトーンとは違う淡々とした調子で言う。
「で、でも息子が…それに私の部屋も404号室です。あ、あなたが部屋を間違えているんじゃないですか?」
私は震える声を絞り出す。
でも私は半ば追い出される形で玄関まで追いやられてしまった。
そして男は玄関から私を押し出す時にハッキリと言った。
「ロケットマンの事は誰にも言うな」
私は勢いよく後ろを振り返りるが扉は閉まった後だった。
私はしばらく扉がいくつも並ぶ団地の廊下に立ち尽くしていた。
今追い出された404号室の隣りの部屋から若い男が出てきた。
その男は顔だけ外にだしキョロキョロと辺りの様子を伺っている。
私は無意識に尋ねていた。
本当は息子のことを尋ねないといけないのに。
「あの…ロケットマンって知ってますか?」
若い男はその顔に満面の笑みを浮かべた。