全員が一人っ子だったなら
最近 昔を思い出して記事を書く事が多い。
悲しい 悔しいという思い出はあまりなかった。
あるのは楽しかった思い出と恥ずかしかった思い出だけ。
あまじょっぱい思いでもちょっぴりある。
そんな回想をしていると 子ども同士の遊びの広がり方について疑問を感じた。
小学校などで 自分たちの学年だけで流行っているゲームや遊びというのは存在しないのではないか。
という疑問をもった。
オリジナルだと思っていた遊びも「あー懐かしい昔やったなぁ」と歳の違う人に言われたり 逆にその人が知っている遊びを自分も知っていたり。
この遊び方ネットワークはどう形成されるのか。
鬼ごっこやかくれんぼ、じゃんけんなど 地域差はあれど大まかなルールは同じ。
これは不思議だ。
僕はそういう遊びのルールブックを見た事がない。
口伝だ。
誰かの口から聞いたのだ。
おそらくは一緒に遊ぶ同級生から聞いたのだろう。
「ねぇねぇこんな遊び知ってるー?」
てな感じで。
その同級生はどこからその情報を仕入れたのか。
まだネットがない時代の話。
きっと家族や親族から聞いたのだろう。
そうして脈々と受け継がれてきた。
伝言ゲームなので少しずつその実態を変化させながら。
怪談や都市伝説もこうやって少しずつバージョンを変えながら波及していく。
僕が知らないだけで「鬼ごっこ」というと「鬼になりきる遊び」という地域もあるんだろうか。
ちょっとやってみたい。
さて ひと学年全員が一人っ子だったなら?
独自の遊びが形成されるのだろうか。
外部からの情報をシャットアウトされた時。
同じように おにごっとなどは発明されるのだろうか。
先人が考え付いたのだからもちろん同じ発想になる可能性は高い。
しかし慣れ親しんでいる遊びのルーツはもっと禍々しい儀式のような物だった可能性があると僕はにらんでいる。
受け継がれていく中で邪悪な部分はどんどん薄れていき 今の平和な遊びとなった。
だから独自に発明された遊びはきっとどこか不思議で 特別な力を持つはずだ。
子どもの無邪気な発想と未知なるものへの好奇心。
この組み合わせはいったいどんな新しい扉を開けるのだろうか。
しかしこんな非人道的な実験はできない。
僕が究極の金持ちになったらこっそりと実験施設を作って試してみようかな。
それで異世界への扉が開いたらごめんね。
きっとその世界では氷鬼や影鬼 高鬼 増鬼などが闊歩しているに違いない。
巨人「かくれん坊」もきっといる。
でもルールに従っていればきっと大丈夫だから。
大人になってしまった諸君は 今一度童心に帰ってルールを再確認しておこう。
あ、そうそう もし「タッチ」する系の遊びなら「でん」って言わないとノーカンね。
大阪弁で鬼ごっこなどで「タッチ」する時に「でん」って言うんだ。
僕は大人になってからこの衝撃的な事実に気が付いた。
みんな「でん」って言わないの!?
「でん」はかなり少数派だった。
許せない。
今だに「タッチ」って言うの少し恥ずかしいよ。
ちなみに厳密には「でーん」と伸ばして発音するのがネイティブなのでマネしてみてね。
新しい世界では「でん」で統一するので今から練習しておくように。
恐らく「タッチ派」と「でん派」の壮絶な覇権争いが起こるだろう。
その時はぜひ「でん」に清き一票をお願いしたい。
では新世界で会おう。
さらば。
次回予告(ウソ)
「現代版鬼ごっこ リモート鬼」
の巻き。