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RPGはドット絵にかぎる 老害のささやき

僕はドット絵のキャラが動き回るゲームが好き。

ドラクエもファイナルファンタジーもポケモンもドット絵のやつがスキ。

中でも主人公がしゃべらない作品が良いね。

ジャンルはRPGが好み。

慌ただしくなく 操作も簡単。

RPGとはロールプレイングゲームのこと。

ロールとは役割で プライヤーがキャラの役割を演じ ゲームの世界に没入するゲームである。

リアルな映像や音声があると、映画を観ているようで役割を演じている感がない。
役割に没入できない。
感情移入ができない。

ロールプレイング映画とは言わないように 映画はキャラを演じるのではなく追体験するイメージ。

だからゲームは想像力を刺激してこそ意味があると思っている。

そしてプレイヤーの想像力を刺激するのがドット絵だ。

ドット絵とは点(ドット.)で描かれた絵のこと。
最近ではビクセルアートなんて言われることもあるね。

手足を機械的に動かしながら移動するドットのキャラ。

歩いているのか 走っているのか スキップしているのかはプレイヤーの想像力に委ねられる。

表情も乏しく何を考えているのかわからない。

わからないということはこっちの思うがまま。

好きにロールプレイできる。

たまらん。

戦闘もその場で剣を振る。

かわいい。
それでちゃんとやられるモンスターもかわいい。

モンスターもなにも言わない。
断末魔もこっちの思うがまま。

技名や魔法を唱えるときもテキストだけ。
でもきっと叫んでいる場面もあるだろうし、クールに決めているときもあるだろう。

あぁ想像力を掻き立てられる。

きっと仲間同士で喧嘩することもあるだろう。
宿屋ではどんな話をしているんだろう。
宝箱から手に入れた武器を誰が使うかで揉めるだろう。
トイレはいついっているんだろう。
食事は?
その大量の道具はどうやって運んでいるの?

謎は深まるばかり。


最近の映像技術はすごい。
もう映画でええやんって思う。

想像する余地が少ない。
それは謎が減ることを意味する。

別にリアルな人間を動かしたいわけじゃない。

ドットで描かれた風景や小物からその雰囲気を想像する。
キャラのセリフから表情や声色を想像する。

それがたまらんのだ。

空き家を勝手に自分の家にする。
そんなことも自由。
プレイヤーの思うがまま。

同じゲームでも人によってキャラの性格が少しずつ違うかもね。

最近のリアルなゲームは誰がプレイしてもキャラの性格は同じ。
それじゃつまらない。
妄想が捗らない。

なんでも想像の余地を残すというのは大事なことかも。
それは小説でもゲームでも映画でも。

説明書や教科書なんかは想像の余地があると困るけどね。

これから息子たちもゲームをする時期がくるだろう。
彼らはいきなりリアルなゲームと対面する。

そこに想像力を育む機能は残されているだろうか。

こんなことを言っていると懐古厨や老害と言われてしまうかもしれない。

それでもいい。
ゲームの歴史をドットから辿っていって欲しいと願う。

想像力は人間が獲得した重要な能力だから。

きっと役に立つよ。

では僕は妄想の時間なので このへんで。




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