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文章の勉強はするべきか
noteには文章を書こうと奮闘する変態さんたちが大勢いる。
大多数の人間は文章を書くことを苦手としているのにだ。
まぁ僕もその変態の1人なのだが、この「文章を書く変態さん」はだいたい同じ悩みを持っている。
それは もっと「上手に」「読まれる」「独自の」文章を書きたいということ。
noteに記事を投稿するという変態さんたちは 書くだけでは飽き足らず 更にはその文章を読んで欲しいと願う変態さんでもあるのだ。
そこで変態さんたちはnoteで「文章の書き方」や「note書き方」と検索をしたり、書籍で勉強をしようとする。
僕も心当たりがある。
僕も立派な変態さんですからね。
さてここで問題です。
あなたは その勉強した内容を実践できているだろうか。
僕は完全に「いいえ」だと胸を張って言える。
というか殆ど覚えていない。
というのが正解だろう。
せっかく読んだというのに。
では意味がなかったのかというとそうでもない。
記憶が生ハムのように薄っすらとしていても、情報として咀嚼したことがるのとないのとではきっと 後々に書く文章には変化があるはず。
僕はそう信じている。
で、この記事で言いたいことは。
「勉強することで自分のオリジナリティが失われるのではないか」
という不安は杞憂だよ ということだ。
レディが「筋トレしたら体がゴツくなっちゃう」と勘違いするように「文章の勉強したら自分のオリジナリティがなくなっちゃう」と勘違いしている人がいる。
でもそんなわけないんだよ。
なんでも極めるというのは時間がかかるもんさ。
そもそも全く勉強をせずに文章を書いている人はかなり少数派だろう。
そんな天才たちと自分を比べても仕方がない。
僕らはどこまでいっても一般人なのだから。
え?
自分は天才だと思っているって?
ハッハッハッハ。
そう思っている人は古い言い回しで
「豆腐の角で頭を打って死んだ方がいい」
と言われても文句は言えまい。
天才とは他者からの評価であり、自称するような事柄ではない。
まぁ僕は天才なのだけれども。
あ、豆腐をコッチに投げないで。
だからあなたたち一般人は文章の変態である先駆者たちが築いたノウハウを学んだほうがいい。
そこで 自分らしさ が失われるんじゃないのか…と不安な気持ちはとってもよくわかるよ。
でも 大丈夫。
勉強してもそんな天才みたいに書けるようにはならないから。
それができる人は初めから天才であり、勉強する必要なんてない。
しかし 残念ながら一般人はそういう訳にはいかない。
ならば 色んな所からつまみ食いをするべきだ。
それを少しずつ咀嚼して吸収して発揮する。
それがあなたのオリジナティであり 天才でも勝てないスーパー一般人となるのだ。
くぅ。
そそられるぜ。
「◯◯の書き方」を読んでいる人はもちろん、読もうかどうか迷っている人は 読んで読んで読みまくろう。
そしてその書き方の中でひとつでも自分のモノにできたなら。
あなたは一歩スーパー一般人に近づくのだ。
そこで読むモノだが、何もノウハウ系である必要はない。
自分の好きなジャンルを「自分が書くなら」という視点で読むと良い。
違った気づきがあり咀嚼しやすい。
エッセイでも小説でも一度でも書いたことがある人は、よりそういう読み方がおすすめだ。
ここで「自分には到底書けない…」と悲観する人もいるだろう。
本当に困ったさんだ。
でもそんな卑屈になる必要は全くない。
そもそも、ノウハウ通りできりゃ苦労はしない。
もし完コピできてしまったら、それこそあなたの心配通りオリジナティは死んでしまう。
だから あくまでもお手本の一部を咀嚼して吸収して発揮できればいいのだ。
それが巡り巡って あなたのオリジナリティとなる。
そんな僕は読書量が人一倍多いと自負している。
勉強に余念がないタイプだ。
え?
天才なんじゃなかったのかって?
そうだよ?
天才が勉強をしているのだから、君たちスーパー一般人とは違う次元にいるハイパーミラクル天才ということになるのだ。
えっへん。
どうだまいったか。
さて そろそろ超合金豆腐が飛んできそうなのでこのへんで失礼しよう。
さ、おべんきょおべんきょ。
あなたも おべんきょして記事書いて飯食って寝るんだよ。
ではまた。
次回予告(ウソ)
「天才の演じ方教えます」
の巻き。